09/25/06
証拠法則と事実認定の重要性1(刑事訴訟法63)
刑罰を恣意的に決めないと言う研究の結果が罪刑法定主義と言うものですが、わが国では、包括的な規定ですので、実質的な罪刑法定主義とは言えないのです。
例えば、これまで何回も紹介していますが、窃盗では10年以下の懲役となっていて、10万円盗んだ場合、18万、100万盗んだ場合とで刑がどのように違うかの基準が法律上ないのです。
交通事故の業務上致死傷罪でも5年以下の懲役刑とまたは禁錮・罰金と言うだけで、どの程度の事故ならどのくらいの刑と言う基準を、法で定められていません。
こうなると実際の量刑基準が必要ですが、これは公表されていないのです。
裁判員法では、量刑まで行なうので、これがブラックボックス化し、問題になるだろうと言うのが、私の意見です。
今回は、量刑の話を別にして、事実認定・証拠の話に戻します。
量刑の前提としても、細かな事実認定が重要です。
そこで、どうやって事実認定するかと言うことですが、恣意的認定では政権の信用がなくなりますので、証拠法則に関しては、古代から人権思想に関係なく必要とされ、ご神託とかクガタチなどの証拠法則が重要になってくるのです。
有罪にするには、客観証拠だけで足りて自白が要らないとなれば、極論すれば、「証拠があったから有罪にした」と言われれば、おしまいです。
古代では、事実認定で、神様が重要な役割を果たしましたが、それでは国民が納得しなくなると、法定証拠主義と言うものが発達しました。
古代に、何々邸から、呪詛の人形が出たとか言って、謀反の罪に問われる事件が多いですが、このように証拠のでっち上げも多用されたでしょう。
これは、静態的な、古代や中世社会向きですが、一つには上記のように証拠が固定されると証拠自体のでっち上げが多用されるようになり意味をなさなくなったことと、近代・・産業革命以降の生活様式や科学技術の変転の目まぐるしい時代では、どの証拠がなければ処罰出来ないと言うのでは、困ります。
法定・・・予め国会で法律を定める・・例えばビデオの映っていると証拠にして良いか・・そのレベルは何画素以上と決めても、毎年のようにレベルアップしますので、国会で決めてるわけには行かないでしょう。
そこで、厳格な証拠の法定を止めて、自由心証主義と言う制度になってくるのです。
刑事訴訟法
第317条 事実の認定は、証拠による。
第318条 証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる。
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