09/22/06
刑事訴訟法58(被告人は当事者か?2)
前回紹介した条文を読むと、被告人は裁判に出頭する権利があるのではなく、出頭する義務ばかりのように見えます。
被告人は当事者だと言うならば、被告人が事件の内容を争ったり、言い分を言いたいときだけ出頭すればいい・・出頭権だけで足りるはずです。
現行法では、被告人の言い分の如何に拘わらず、あるいは被告人の希望の有無に拘わらず、被告人の出頭が必須とされ、その例外は、病気等の事情のときだけでしかないのです。
しかも裁判所が許可したときだけで、被告人の意見は全く問題にされていません。
取り調べの客体として扱われ、当事者人格が認められていない感じです。
刑事法廷での当事者は、検察官と弁護人そして裁判官が、目の前のまな板の鯉になっている客体たる被告人を、どのように料理するかの協議・・せいぜい論争の場であるかのようです。
被告人が認めているなら(もちろん弁護人が認めないときは駄目ですが・・・)何故、出頭してさらに取り調べられなければならないのか疑問です。
事実の有無を判断し、その内容によって刑を決めればいいのであって、事実を認めている被告人に何故出頭を強制するのか理解できません。
裁判所は、被告人から詳しく聞かないと量刑判断がし難いと言うかもしれませんが、いずれにせよ被告人を取りしらベの対象としてるからでしょう。
被告人質問は、弁護側からの申立てで、行われるのが慣例ですが、もしも弁護側からの申立てがなくとも裁判所が職権で被告人質問を出来るのでしょうか?
言うまでもなく、被告人には、黙秘権がありますので、弁護人も被告人も何も言うことはないと言い張っているのに、裁判所の職権で被告人に対し、強制的な質問をするのは、問題が大きいでしょう。
法的には被告人が拒んでいても裁判所には質問権はあって、答えたくなければ被告人は答えなければいいと言うことですが、「何も答えるつもりはない、裁判に出頭したくない」と言う被告人を強制的に引致し、強制的な質問をするのは、許されると言うのは奇怪です。
そこには、被告人の言い分を聞いてやると言うよりは、被告人をぎゅうぎゅう痛めつけたい・・・法廷で平身低頭させて反省の弁を述べさせたいというサデイズム的要素があるからではないでしょうか?
最近始った被害者による法廷での意見陳述権の制度は、これに輪を掛けるものです。
後に紹介する死刑の執行についても、心神喪失中には執行できないという規定があります。
死刑の執行を、心神喪失中には停止するというのは、正気に返ったときに、恐怖感を味あわせたいと言う欲求があるからではないでしょうか?
こう言う人は社会にいると困る・・退場命令であるならば、その人が正気であろうとなかろうと関係ないはずです。
そこには、死の恐怖を味あわせてやろうという(親切な)魂胆が見え見えです。
死刑執行が残虐にならないように、ギロチンが良い、電気椅子が良いとかいろんな意見がありますが、これらは、一見人道主義的ですが、本当に被告人のためを思うなら、完全麻酔下で酸素マスクを外すなどの方が余程人道的で、完全でしょう。
あえて、半端な議論をしているのは、根底に死の恐怖を如何に味合わせてやるかと言う(意地悪な)基礎があるからではないでしょうか?
学者に言わせれば、応報思想に裏打ちされたものでしょうが、サデイックな要素があることを否定できないでしょう。
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