09/15/06

生きとし生けるもの 2(豊かな自然と豊かな心)

豊かな雨量と緑滴る山河に恵まれ、野菜類に恵まれ、さらに豊かな海や川のお蔭でたんぱく質が足りたことが原因で、他の動物を食べる必要性がなかったことが、我が国特有の動物愛護の感情を今につなげていけるのでしょう。
豊かな樹木が、川や海の魚を養うことに付いては、01/11/05「流域下水道と循環型社会1」前後で、森は海の恋人と言う言葉で既に紹介しました。
豊かな自然が、豊かな海の魚や貝を育て、豊かな心の民族を育てたのです。
ところで、こうした何万年の豊かな歴史があるのに、明治維新以降、日本人が動物の肉食をいきなりすんなり受け入れたのかが、不思議です。
さしあたり、こうした職業(屠畜業者や肉屋さんなど)には、いわゆる被差別階級の人々がつく職業とされましたが、汚れ役をやらせておいて、自分達はフランス料理のようにお洒落な食卓を囲むだけと言うやり方で国民の目を逸らせたのが成功したのでしょう。
西洋でユダヤ人に金融の汚れ役をさせた歴史については、02/17/06「キリストと農業社会の歩み寄り4(金利禁止思想と不労所得概念の破綻2)」のコラムで紹介しましたが、これと同じです。
(日本で、高利貸に在日韓国人が多いのと似ています。)
日本では部落解放運動が戦後も続いていますが、明治の初めには国内に先ず、被差別民が存在したことが、この受け入れに役立ったのでしょう。
江戸時代の被差別民の種類については、12/28/03「身分とは?5(中世社会4)(エタ、非人=権現?)」以下で連載しました。
このように屠畜現場と切り離された結果、今では、日本人も毎日のように、気楽に鶏肉や豚肉、牛肉を食べています。
上記のように、幸いと言うか目の前にいる動物の殺害を見ることなく、なんとなく工業製品のような印象でスーパーで切り身を買っているからこそ、食べられることでしょう。
今でも、欧米や中国人のように自分で飼っている牛や豚を、目の前で殺して食べる・・あるいはブタの丸焼きとか鶏の丸焼きなどは、殆どの日本人には馴染めない筈です。
鶏も、大きくても、モモ肉にかぶりつくくらいが、やっとでしょう。
もしも自分で飼っていた鶏やアヒルを殺して、丸ごと焼いて食べるなんてことを、実行して、仮に自慢したらどうでしょう?
多分、恐ろしい人だということで、何かあるとあの人は、元々「こんな(ひどい)ことを平然と出来る人だ」よと、非難される材料にされることでしょう。
「ひどい」とは「非道」の意味であって、ひどい人とは、人の道に反することをする人を言うのです。



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