09/15/06
四足(よつあし)動物の肉食禁止と仏教2
日本では、縄文の昔から、犬も一緒にお墓に埋葬していることからも分かるように、犬や家畜を家族の一員・・仲間として考える習慣があります。
後世家畜として牛や馬を飼うようになっても、東北地方の農家の曲がり家では、いつも家族の見えるところに馬小屋が配置され可愛がられます。
こうした家族の一員として愛する気風が、南部盛岡の「チャグチャグ馬っ子」の御祭りにも繋がっているのです。
私の育った関西方面でも、大きな屋敷で、牛小屋が別に建てる場合を除いて、母屋に入ると
はいったところが土間で、その右側が牛小屋と言う時代がありました。
左側は、家族の生活の場ですから、牛は言うならば一日中一緒にいるのです。
こうした生活をしていると犬や猫が、あるいは牛や馬が、大きく育ったからと言って、「つぶして」食べるようなことはとても出来ません。
今でも、わが国では、犬や猫などのペットを飼うと自分の子ども同様に感情移入する人が殆どでしょう。
こうした結果、わが国では食べるために家畜を飼うと言う習慣が生まれず、お隣の中国まで存在していた食用にするためにブタを飼う習慣が根付かなかったのです。
鶏を飼っていても卵を採るのが主目的で、殺して肉を食べる目的で飼う人は皆無だったと言えるでしょう。
昔は、鶏の世話は、農家のおばあさんの仕事でした。
仏教では、お釈迦様のまわりにいろんな動物が集まって説教を聴く話がありますが、わが国では、まさに仏教の理想とする営みが、自然に行われていたのです。
11/29/05「神仏習合の基礎2(仏教の心は森にある)」のコラムで、仏教の基礎は森林宗教であると書きましたが、豊かな森林こそが最初に仏教の入った中国や、日本よりも早かった朝鮮よりも、我が国に仏教が深く根付いた基礎だったでしょう。
この森林社会であったことから生まれた習俗でしょうが、上記のように「動物もみな仲間」と言う考え方があった日本では、食用で動物を飼っていた中国や朝鮮よりも、不殺生の戒律を中心とする仏教により馴染み良かったでしょう。
わが国では古来から「生きとし生けるもの」総てが仲間であり、人間性を持って擬人化して語られて来たことについては、01/01/04「2004年元旦(生きとし生けるもの)」のコラムでも紹介しました。
こう言う価値観を持つようになった原因については、前回コラムで書いたように、チベットや中国の西域・・・黄河流域に比べて野菜が豊富ですし、魚も多く、あえて身近な動物類を食べる必要もなかったことが大きな差でしょう。
そのうえ、その後に人口が増えても、四方が海で、しかも同じ海でも世界中の海に比較して割合魚が豊富な海ですから、これを食べてれば、栄養源としては間に合っていたのです。
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