09/14/06
ブタ箱と牛小屋2(刑務所建築2)
牛小屋はご存知のように藁を敷いたものですから、庶民にとっては結構暖かで、自分の家とそれほどの差がなかったかも知れません。
江戸時代の庶民は、畳での生活をしていませんでしたし、まして綿花は貴重品でしたから、布団などはなく、藁にもぐって寝るのが普通だったのです。
ただ、庶民も便所は、寝室とは離れた別棟に作ってあるのが普通で、牛や馬のように同じ室内で糞便だらけの生活をしていた訳では有りませんでした。
今では酪農家が、牛小屋や豚小屋をきれいにしていますので、イメージが湧き難いでしょうから、私が育った子供の頃いくらでもあった、普通の農家の牛小屋の様子を紹介しておきましょう。
牛小屋には、藁を敷き詰めてあって、そこで牛は糞のし放題でしたから、(牛だって、小鳥だって外でしたいでしょうが、閉じ込められているので仕方ないのです。)ブタ小屋ほどではないにしても、牛のしとねは糞だらけで汚いものでした。
起き上がった牛のお尻のあたりには、いつも糞がくっついていたのを覚えています。
これを、一定期間すると飼い主が全部取り出して新しい藁に取り替えてやるのですが、この取り出した糞交じりの藁を積み重ねておいて、発酵させたものが堆肥になるのですから、その程度が分かるでしょう。
牛も豚も、あるいは小鳥でも、そうですが、人間のようにトイレを別に設けて躾けるのは無理ですから、閉じ込めておけば、自ずからそうなるのです。
とは言うものの、これは一般論であって、25年程前に我が家で飼っていた青首アヒル・鴨です・・の場合は、子供のときからとても利口で、幼くてまだ庭に出せず室内で飼っていたときには、室内の糞をするように決めてあった一定の場所に来て糞をしていましたから、素質にもよるのです。
人間の場合も、木造の小屋ガケ程度の牢屋しかない時代には、共同トイレを作って自由に行き来できるようにするのは、逃亡防止上難しいので、小さな部屋で、閉じ込めておくしかなかったのです。
何せ、御城のような大きな建物は稀な時代ですから、まして犯罪者のために立派なものを建てるわけにいきません。
今では、図体だけ大きくとも安普請で作れますが、当時は大きな建物=大きな骨太の柱、梁など材質の立派なものが必要でしたから、粗末な建物=小さな小屋ですから、大変です。
犯人を拘束した建物内部で、囚人がある程度自由に動けるようになった(トイレが別になった)のは、西洋式の堅牢な大きな建物を作れるようになった近代的刑務所が出来た以後のことでしょう。
刑務所建築については、後に紹介しますが、結構重要なことです。
牢屋からブタ箱へと名称が変わっても、その共通するところは狭いと言う意味ではなく、非衛生・汚いと言う意味だったでしょう。
後醍醐天皇の息子の大塔の宮・護良親王が足利に幽閉されたときに、鎌倉の岩屋に閉じ込められた残酷さが書かれていますが、要は、長い間幽閉して置けるような設備がないから起きた事件です。
話があちこちに行きますが、刑務所も水洗便所が普及してからは、合理化されて、各房に小さな洋式便座があって、その上が机のようになっています。
室内は清潔で、今ではブタ箱ないし牛小屋のように糞便だらけの汚いものでは有りません。
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