09/13/06

機能分化と公平な裁き5(検証可能性2)3審制の基礎

現在の訴訟構造は、3審制が基本ですが、これも対立当事者構造と関係があります。
同じ人が3回考えた場合、1回しか考えなかった場合よりも、原則としてより良い結論を得られるのが普通です。
(ただし、最初の考えの方が、良いことも稀にはあります。)
3審制は、別の人が考え直すのですから、必ずしも後で考えた人の方が優れた結論を出すとは限りません。
上級審の裁判官の方が、経験豊富な人を配置しますが、それほど能力差がある訳では有りません。
それにも拘わらず、高裁、最高裁と後で判断する方が決定権を持っている制度が何故定着しているのでしょうか?
これを可能にしたのは、元は、身分や格式による優劣の思想・・・あるいは段階的決裁制度の延長でしょうが、平等社会の今では身分差は問題になりませんし、事実認定は、客観的事実の有無ですから、裁量的要素の強い決裁になじみません。
それにも拘わらず、今でも、3審制が合理性を保っているのは、対立訴訟構造の採用によって、後の判断の方がより、すぐれた判断を出来るようになったからでしょう。
対立当事者構造の場合、双方の主張が文書で残っている上に、1審での判決でも双方の主張に対して個別に判断していきますから、上級審では、下級審の思考経路を検証したうえで、さらに一歩進んだ判断を出来るメリットがあります。
そのうえ、後出しじゃんけんみたいに、人の判断した結果を(事件によっては、1審の判断に対する世論や学者の反応を見ながら)見られる有利さがあるのです。
もしも双方の主張のやり取りがないまま、判決が出されると何が争点で判断したのかもわからず、高裁も振出から考えねばならなくなってしまい、3審制にした意味がなくなるでしょう。
陪審制度の場合には、上訴が出来ない仕組みになっているのは、陪審・・直接主義の関係から、証言を直接見聞していない2審制は、無意味になる面があり、これが一般的に論じられている理由です。
そうした理由だけではなく、こうした思考経路の検証・・・1審の経験を活かせず、同じことの繰り返しになるからではないでしょうか?
陪審制では、理由が一切公表されなくて結論として、有罪無罪を宣言するだけですから、2審にも陪審制を導入した場合、1審の議論の経過が全く分らないで議論することになります。
1審での議論の経過が分からないまま、ゼロ地点から別のグループが再議論するだけになりますから、それでは、2審グループの判断の方が優越する根拠がなくなってしまうからです。
事実認定の議論の経過がブラックボックス化されますので、今後事実認定の事例研究が困難になるでしょう。



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