09/10/06

行政警察5と司法警察の分離3(狂牛病の全頭検査)

ついでに言いますと、検察官は法務省所属の行政官ですが、司法官僚の性質も持っているのです。
(このような点については、08/20/03「令状発行権者は、誰か?(憲法26)」憲法で言う司法官憲の定義のコラムで書きました。)
その前身である与力の供給源は、権力直属の旗本とは別ルートであったことを、08/14/04「旗本とは(与力14)」前後のコラムで連載しました。
このような別ルート出身であることから、天満与力大塩平八郎のように、権力から離れた行動をする人も出てくるのでしょう。
警察権力のうち司法に関する分野は、歴史の経過で、その歯止めシステムが完備してきました。
しかし、憲法での人権保障と言っても司法警察に関する分野だけであって、行政警察分野では、憲法の保障が全く有りません。
政治家に対する弾圧は、先ず脱税摘発から始まるのがその好例でしょう。
司法警察の家宅捜索は憲法で厳しく規制されているのに、行政的立ち入り検査、書類等の押収には、何の規制もないのです。
しかも、行政警察は、その性格から、裁判所その他第3者による事前のチェックがありません。
例えば一昨年かその前か忘れましたが、明石の花火大会で観客に多くの死傷者が出ましたが、警察による規制の仕方が甘かったのではないかと議論されます。
これが行政警察作用と言うものですが、こうした基準(マスコミ論調)で行けば、厳しければ厳しいほど警察に落ち度がないことになって、予めの規制も厳重になる一方です。
お祭りと言うものは、国民の不満の捌け口としてもともと為政者が奨励したものですから、規制し過ぎてお祭りが出来なくなるような事態は考えられません。
しかし、デモ行進やその他いろいろな分野では、「規制が厳しければ厳しいほど良い」という警察的発想では、国民が息苦しくて生きていけません。
昨年来問題になっている狂牛病対策の全頭検査は、政治活動ではなく安全に関するものだから良いじゃないかと思っている方が多いと思いますが、厳しければ厳しいほど良いという発想の産物の例でしょう。
そしてその規制がやりすぎかどうかについては、政治的解決しかなくて、政治家を利用できない弱い国民は、どこへも訴える方法がないのは、今の憲法下でも同じです。
(たまたま、アメリカらの圧力で、全頭検査はなくなりそうですが・・・・)



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