09/02/06
刑事関係法の歴史21(刑法62)現行刑法典の性格2
前々回のコラムで紹介しましたが、社会防衛思想やナチス刑法など、新派思想の基盤になる社会意識の強まりがあって、罪刑法定主義を薄める方向・・・裁判所の裁量権の拡大で決着がついたものでしょう。
07/02/06「内乱罪2( 刑法53) 予備・陰謀とは?1」その他のコラムでも書いていますが、日本の刑法は罪刑法定主義と言えるのか疑問なほど、裁量の幅が広すぎるのです。
当時は、裁判所は政府に隷属していましたから、裁判所の裁量権を大きくすれば、すなわち政府が自由に処罰出来るのと同義だったでしょう。
08/14/06「戦前の司法行政と司法権の独立5(大津事件3)」で紹介しましたが、司法権の独立と言うよりは、職人気質の死守に過ぎなかったのですから、条文自体を大幅に広げておけば、そういう問題がおきないのです。
その意味では、1種の妥協の産物でしたから、制定後戦時色の強まりに合わせて、更なる超国家主義的刑法に変革するための改正作業が進められて行きます。
その成果が、昭和15年の改正刑法仮案(主観主義的刑法観に強く傾斜したものでした。)でしょう。
これは、仮案のままで、刑法が正式に改正されることなく終戦になりましたので、お蔵入りしたのです。
現行刑法は、既に半分以上も戦前の超国家主義・思想統制向きでしたから、戦後の民主化に合わせて、もう少し超国家主義的思想から逆戻りさせるべく改正されるべき代物でしたが、何故かその命脈を保ち現在に至っているのです。
それどころか、戦後直ぐに改正の必要性があると言うことで改正作業が進められましたが、何しろ戦前の思想で教育を受けた学者ばかりですから、戦前の改正作業が中断していたのを受け継いで、完成させるという方向での改正作業になっていったのです。
この作業は、昭和31年の刑法改正準備会設置、昭和36年の改正刑法準備草案(確定稿)発表、昭和47年の改正刑法草案発表などに進んでいくのですが、その出発点は、昭和15年の改正刑法仮案を「戦前における刑法改正作業の貴重な遺産」と評価し、これを「基礎として、これに必要な修正を加える」(準備草案)というものでした。
(日弁連、1974年(昭和49年)5月25日第25回定期総会決議より)
私などは、このとき新人弁護士でしたから、刑法改正反対の対策委員になって勉強会に参加したことがあります。
結局日弁連の大反対で、このときナチス以来の懸案であった保安処分その他の大幅改正が見送られて現在に至っています。
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