09/02/06
刑事関係法の歴史20(刑法61)現行刑法典の性格1
刑法典論争に話題を戻しますと、当時の社会の急激な変化に伴う犯罪の増加に対して、対応できていないと言う不満が批判に拍車をかけたようです。
このため、保安条例・治安警察法などの新しい治安立法や「命令ノ条規違反ニ関スル刑罰の件」(1890年、行政罰を定めた法令で当時は罪刑法定主義との関係で推進派の伊東巳代治と井上毅の間で激論が交わされた)などによって、新規の法令が次々と定められ、一部には「刑法不要論」まで唱えられる始末であったらしいです。
しかし、民法や商法と違って、施行延期までされることなく、ともかく明治15年には施行された点が違います。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用の続きです。
「この動きをみた司法省はドイツ刑法を中心に各国の刑法を参考にしながら、新しい刑法を制定する方針を固めた。
改正案は1890年・1895年・1897年・1901年・1902年と5度にわたって提出されたが、政治的な問題で廃案とされたり、弁護士会(時には検察官や裁判官も加わった)の反対論などによっていずれもが挫折してしまった。
第1次西園寺内閣の司法大臣であった松田正久は、官僚だけでなく学者や弁護士、帝国議会両院からも代表を迎えた「法律取調委員会」を組織してそこで刑法改正論議を行わせることにした。
松田の苦労が実を結んで、1907年に現行刑法が成立しました。
新しい刑法には強力な治安法制を確立させたいと言う政治的な思惑が反映される一方で、犯罪類型を抽象化・包括的として法定刑の幅を広く持たせたのが特徴です。
裁判官の解釈や量刑の余地が大きく、その裁量によって執行猶予を導入したり、逆に累犯に対する重罰を可能にしたりした。」
以下は例によって私の意見です。
実際、アメリカなどでは懲役百何十年という判決が時折報道されますが、日本ではそう言う非常識な刑はありえません。
何をしたら何年と細かく決まっていて、単純に積み上げて行く形式ではないのです。
窃盗犯が10件やっていても10年以下の懲役が100年以下になるのではなく、1,5倍・・・15年以下になるだけです。
そしてせいぜい1〜2年の刑(金額によりますので、わたしが現在担当している事件では3〜4年行くだろうと予測しています)が宣告されるのが実務です。
いくつの犯罪を連続して捕まっても1,5倍が限度で、その範囲で、どんぶり勘定で刑を決める仕組みだからです。
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