09/29/05
科挙6(人材の入れ替えと既得権者の抵抗)
唐の大宗(李世民)が科挙の制度を採用したときの様子については、06/22/03「司法修習生の給費制 3(裁判所は独立してる?1)」のコラムで、紹介しました。
彼は、天下統一後優れた人材の抜てき方法として、科挙制度を実施して、俊秀が蝟集するのを見て、
「天下の英雄、わが曩中にいる乎!」
と喜んだ故事も紹介しました。
天下統一後は、武術のすぐれた人材よりも知識階級のほうが役立つのですから、彼らを干してしまうのに便利な、新しい人材登用方法として考え出されたもので、大ホームラン級のヒット政策でした。
しかし、あまりにも皇帝に便利で、功臣には不満な制度ですから、これを性急に進めると政権が転覆してしまうのでしょう。
隋が短命で終わった理由として、煬帝の豪奢な生活ばかり書かれますが、実はあまりにもあらゆる方面で革命的な政策が確立しすぎた所にあったのかもしれません。
歴史家というか、文学者が中心に歴史を書きますので、後にも書きますが、政権末期の描写と言うと女色に溺れたとか豪奢な生活をしすぎたとか、ワンパターンが多いのです。
(せいぜいあっても、戦争が多すぎて財政破綻したとか言うくらいでしょう。)
しかし、実際の政治は、そんなもので直ぐ動くのではなく、別の利害の錯綜した心理的要因で動くことが多いのです。
勿論、煬帝は運河建設や、高句麗征伐などで、財政破綻したことも大きかったでしょう。
しかし、財政破綻でつぶれる政権は滅多にないのです。
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