09/27/05
科挙の意義2(選挙と官僚養成1)
隋の時代は短かった上に、(589年〜618年)人材養成制度と言うものは、その結果が出るまでには時間がかかるものですから、実際に機能し始めたのは、唐代からと言えるでしょう。
実際には、政権獲得の功労者をむげにクビには出来ませんから、こうした人たちが引退してからの補充者の人事からとなるので、効果が出るのは数十年かかるのです。
この人材抜擢の科挙の制度と均田法(公地公民)や一律の税制、国民皆兵の徴兵制などを基本とする律令制の完成は、今から見ても、とても先進的なものでした。
律令制の基礎になる公地公民制の始りは、もとは1戸あたり、あるいは夫婦単位の税制だったようですが、完成した隋のころは人頭税に類する個人個人に対する租庸調を決めるものでした。
それも個人的事情をあまり顧慮しない、土地面積あたり一律課税が特徴でした。
特権は、後世に科挙受験生の秀才になると税金を免除されたり兵役の免除があるというだけで、徹底した平等・能力主義社会でした。
科挙制度は、この徹底した平等主義と対をなすもので、家柄や財産に関係なく、有能な人材を高級官僚に登用しようとするもので、思想的には今の民主主義国家と同じ考え方です。
最初にちょっと書きましたが、中国では元々門閥にとらわれず人材抜擢をすることを昔から「選挙」すると言っていたのです。
この抜擢方法を直感やコネではなく、多くの科目の試験によることにしたので、これを「科による選挙=科挙」と言う名称で呼ばれるようになっただけです。
科挙とは、選抜方法を試験制にしたという意味です。
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