09/25
商から農への転換3(権力不要社会へ)
ところで、権力支配は商人には有効ですし、また、商人側から規制を求められているので、王権は必須でした。
商人の権力志向については、09/18/05「唯一神信仰の土壌(商業の発達と画一化・・・信教の自由2)」や多神教の支持基盤のコラムで少し書きましたし、後にも書く予定です。
王朝(商業)国家の頂点として成立した天皇家の権力は、商取引の取り締まり機能が本職ですから、農業社会が進展して来るとその機能が縮小する一方です。
列島に閉じこもった最初は、精神面では神話の作成(古事記)や独自文化確立のための万葉集の編纂や、国防体制の確立・・防人の動員体制つくりや、内政の枠つくりとしての律令制の施行に伴ういろいろな政策課題の遂行に忙しかったでしょう。
大きく言って律令体制を作っては見たものの、直ぐにも手直しに追われるばかりとなって、平安に入ると手直しも止めて、律令体制の縮小ばかりとなっていくのです。
(公営企業から私企業への移行時期でした・・荘園の発達)
平安のころには、対外交易は遣唐使船が先進知識を仕入れてきては国産化するパターンでしたから、国際取引も皆無と言っても言い過ぎではなかったでしょう。
(鎖国政策だったと言われている、江戸時代の長崎の出島だけの貿易よりも少なかったでしょう。)
そのうち、糸電話みたいに細くつながった遣唐使さえ止めてしまうのですから、凄いことです。
学校では、学ぶべき先進的学問がなくなったから止めたと教えていますが、それだけでなくいろんな産物の国産化も進み、(例えば漢方薬に必要な薬草類の栽培など)自給体制が完成したからともいえるでしょう。
自給自足社会ですから、奈良から平安にかけて、すでに農業社会になっていた筈ですが、多様な気候で独自工夫の必要なわが国では、農民に対する画一的権力支配はやりようがなくなって、荘園・・私企業化して来たのです。
この辺は、09/13/05「王権不要社会4(農業社会の外敵とは?1)暦の存在価値」前後のコラムで書きました。
それが、平安時代になると朝廷の仕事は貴族間の出世争いや歌を詠んだり、形式的な人事、除目等に関心が移り、国内政治は殆どしなかったといわれている原因です。
宮廷貴族といえば、元は政治実力者・・豪族ですが、実際の政治をしないイメージが定着しているのはそのためです。
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