09/24/05
国産化の習慣(写経)
戦後の韓国への補償やこれから北朝鮮への補償問題が起こると思いますが、この辺の戦前のわが国の投資がそのまま取られたママになっている現実を頬っかむりしたままで、補償要求ばかりされるのでは、国民が納得出来ないかも知れません。
日本は、国内同様に学校制度を普及させたり、かなりの公共投資をしてきたのです。
この点は西洋による、現地人を蒙昧にしておく植民地支配とは訳が違います。
その精神が戦後でも東南アジア諸国への投資となって、雁行的発展の基礎になっていったのです。
話がずれましたが、日本列島は殆どの資源が揃っていた点については、以前、05/19/05「木綿産業(イギリス産業革命と日本の対応)4」前後のコラムでも紹介しました。
自給が進み生産技術が上昇していくと、新しい知識だけを遣唐使が仕入れて来て、これを国内で改良して作り直すと言う程度で間に合うようになり、物産自体の輸出入は希少品を除いて殆どなくなってくるのです。
この象徴と言えるのが、空海や最澄の留学でしょう。
彼らの事績を読むと、要するに「万巻の書」や仏教用具を持ち帰ったというもので(勿論それだけでなく、これらの内容を会得した偉い人だった前提ですが・・・・。)高級輸入業者と言う所です。
中国の西蔵法師の絵をご覧になった方がいると思いますが、巻物のお経を背中一杯に背負った姿です。
持ち帰った経典類は、写経の奨励で国産化するのですが、このやり方が、現在に伝わっていて、何か良いものがあると少し持ち帰って、あとは国産化し、普及品にする長年の習慣になったのです。
この写経に励むことを、とても功徳があるものとして後世言われるようになりますが、遣唐使のころには写経こそ国産化の第一歩ですから、今の国産工業化技術と同じ大変な事業だったのです。
そしてこの奨励が、国民の識字率を高め、お経の内容理解を高めるとともに、民度の向上にも、すごく役だったものと思われます。
勿論、写経の盛行が、関連産業(紙や硯墨などあるいはその装丁技術)の大発展につながったでしょう。
こうして、未だに何でも国産化しないと気が済まない民族性がはぐくまれたのです。
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