09/24/05
白村江の敗戦と独自文化圏の形成8(商から農への転換1)
話を戻しますと、敗戦後の孤立過程で、自給自足化の必要性から実際の自給化が進み、農業主体社会への改編が進みます。
わが国は南北に長いので、やる気になれば列島内で亜熱帯性の作物も寒冷地の作物も大抵間に合うめでたい国だったのが幸いしたでしょう。
北朝鮮では土地が痩せているようで、孤立したら自給できないのが今の窮境の原因でしょう。
勿論わが国も今の経済大国・・・豊かな生活は、海外からの輸入で成り立っていますから、孤立したら自給できません。
戦時中の食糧難は、自分の所で取れる以上のものを、消費をしていたわけです。
今では中国も輸入大国ですし、アメリカでさえ、輸入大国になっている時代ですから、自給自足できる国は、皆無と言っても良いかもしれません。
交易というのは足らざるを補う関係ですから、古代にも同じ関係だったはずですが、古代には自給が何故簡単に出来たかを考えてみましょう。
当時は補う程度が少なかったのと、まだ耕地化する土地がいくらでも空いているときだったので、いざ足りなくなれば、無理に輸入しなくとも自分で開拓すれば何とかなった時代でもあるでしょう。
それに探せば国内に何でもあったのに、気づかずに交易していたとか、商業の始まりで書いたように元々古代の交易は原料や食料品またはそれに類する大量の産物の交易ではなく、石器とか軽い小さな工業製品?や漢詩や、お経などの先端製品の交易が主体だった筈です。
古代日本列島は、後進社会であったので、先端工芸品〔銅鏡など〕や文物制度を輸入していただけだったはずです。
では、こちらは何を輸出していたかと言うと、小さな舟で食糧を輸出できませんから、織豊政権時代同様に、もしかしたら金銀製品だった可能性があります。(絹も後に輸出しています)
日本海側の地域が朝鮮半島に近いというだけでなく、出雲や越後では、金が古代から取れたから、発達していた可能性もあるのです。
こういう場合は、孤立しても、遣唐使程度の窓が開いてれば何ら生活の不便を感じないのです。
そればかりか、わが国は無資源国だと習って育ちましたが、実際はかなりの物が列島内で取れるので、資源的にも国内自給分程度なら殆どが賄えるめでたい国だったのです。
そこが北朝鮮とは違うでしょう。
ちなみに北朝鮮は、戦前に日本がかなりの重工業その他の工業投資をしてきましたので、戦後直後はこの辺ではかなり先頭を走る工業国家だったのです。
南の韓国の方は農業地帯だったので、戦前日本による工業投資が少なくて、遅れた地域と言われていたのです。
それが共産主義で自由な発想を禁圧してきたために、発展が阻害されて今の状態になったもので、自由主義か共産主義かの体制の優劣は明らかになったと言う所でしょう。
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