09/22/05
遣唐使3・・独自日本の形成4(壬申の乱1と国内統一)
白村江敗戦以降の日本は、今の北朝鮮が孤立しながらも、日本や諸外国と細々とつながっている関係と同じで、遣唐使の時代は、一般の交易は冷え切ったままで、外交団だけが、外交特権で行き来していた時代であったと言えるかもしれません。
無制限な商人の往来・交易があれば遣唐使自体不要だったのですから、遣唐使が必要であったこと自体が、幅広い民間の交流がなくなっていた証拠でしょう。
江戸時代に長崎の出島があったから世界貿易していたと言うか、出島だけに制限されていたと言うかの違いです。
日本は白村江の敗戦(663・・天智2年3月)後アジア世界で孤立したと言っても、その後の遣唐使がありますので、(今の北朝鮮の万ギョン峰号が新潟に来るみたいなものです)全く外交や往来がなくなっていた訳ではないのです。
ただ、白村江の敗戦が対抗上日本列島全体の諸豪族の団結を生み出し、自分たちを大陸や朝鮮半島とは別の独自空間として考える意識を芽生えさせる切っ掛けになったことが重要でしょう。
そのエネルギーが壬申の乱となったもので、この大乱が、当時の考えられる国内統一の集大成だったでしょう。
壬申の乱を歴史的意義で見れば、明治維新の際に、押し寄せる西洋列強に対抗するための中央集権国家化の必要性に迫られて戊辰戦争を戦ったのと同じでしょう。
それまでは、蘇我氏・物部氏大伴氏などいろいろな争いが絶えませんでしたが、壬申の乱の後には、国内豪族間の戦争を伴う勢力争いがなくなるのです。
ちなみに、後の織豊時代には、北海道まで支配しなくとも天下統一と言っていたように、後の平安時代に東北地方まで坂上田村麻呂が遠征しますが、当時(壬申の乱の当時)の視野では美濃の国以東は、東国と言われていたのです。
壬申の乱は、当時如何に大変な事件であったかということについて、私の知っている限りのことですが、次のコラムで、万葉集を紹介しておきましょう。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:歴史に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
