09/22/05
独自日本の形成2(中国の海軍力1)
蒙古襲来の例を見れば分るように,そのずっと前の古代には隋も唐も万里の波涛を超えて押し寄せてくるまでの戦力が有りませんでした。
元々中国は、倭の国と違って陸軍主体国家でしたからなおさらです。
商業国家と言っても川沿いの貿易国家でしたし、水軍と言っても三国志の物語で分るように、長江や黄河で戦う水軍が主体でしたから、荒波を超えて移動するのには、慣れていません。
それどころか、広い海に出て、対岸の見えない海と空しかないところの航海術がどの程度あったかさえ分りません。
仮にある程度あったとしても、倭人たちが小さな舟を操って、荒波を越えて朝鮮半島や中国大陸へ繰り出していったのとは訳が違います。
倭人の操船術に比べれば、格段の経験差があったでしょう。
後に明時代に鄭和が遠征した事績を紹介しますが、そのころやっと大船団を組めたのですが、これとても、陸地伝いにインド洋まで行ったに過ぎません。(アフリカまで行ったとも言われます。)
或いは秀吉の朝鮮征伐でも、明軍が出て来ますが、その応援は陸軍主体であって、海を越えて日本へまで反攻しようというところまでは行かないのです。
その後、明朝滅亡後の鄭成功の話とも共通しますが、現在(と言っても古い話ですが・・・・)でも国府軍が台湾に引き下がると、中共軍の攻撃はそこまででとまり、海を越えての攻撃は出来ないまま現在に至っているのです。
(ここ数十年はアメリカ軍の存在があるからでしょうが、国共内戦のころの話です。)
それで、反ソ暴動でソ連の戦車に押しつぶされた1956年6月のポズナニ暴動や1968年のドプチェクの率いる「チェコの春」のような目に遭わずに、日本は助かったのです。
日本の独自性が島国のおかげで保てたと思う方が多いでしょうが、1面では当たっているのですが、白村江の敗戦がなければ、島国であっても一つの経済流通圏のままでしたから独自性は保てなかったのです。
単に島国であると言うだけで、独自性が確保できたのではなく、孤立したが、島国のおかげで押しつぶされなかったので、独自性を保てたのです。
この結果、1300年以上に亘って独立を保てたのが、日本の独自文化の発達に大きく貢献したのでしょう。
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