09/21/05

朝鮮と日本の分離1(独自日本の形成1)

現在国際政治の話になってしまいましたが、古代から、日本は中国からの独立志向で来ていたところ、日本と中国の勢力争いの境界域である朝鮮半島の支配権争いで、日本は唐、新羅連合軍に負けてしまったのが白村の江の敗戦だったのです。
以来、朝鮮半島は中国の勢力圏ということで1300年あまりきたというところですが、折に触れて(秀吉)日本が押し寄せるのは、こうした歴史があるからです。
もしかしたら、朝鮮族の一部が日本列島に住み着いて日本の支配者になっていたのかもしれません。
イギリス国王のノルマンデイ公がフランスに領地を持っていたのと同じです。
日本の支配者から見れば、当然朝鮮半島・・特に南部は元々自分の出身地・・支配圏であるという意識があったのかもしれません。
支配者は国民には、「自分たちは日本独自の民族だという神話」を作って教育しながら、実際は実家を取り返したい気持ちをずっと抱いていたのでしょうか?
日本列島はいつも書くように、南洋諸島系から大陸南部系、あるいは朝鮮系と多数人種の坩堝ですが、地域的に見ると近畿地方を中心に朝鮮系の顔立ち・考え方の人が多いのです。
(科学的な意見ではなく、私個人の印象です。)
大和朝廷というのは、上記の原住民と言えるほど古い諸民族の後からやって来た朝鮮系民族が作ったものかも知れません。
これが弥生人と一致するのかどうかまでは知りませんが、その結果、それ以前の列島居住者・先住民は左右に押しのけられたようにも見えるのです。
東北と九州方面で、意外に顔立ちや体毛の濃さなどが似ていたりするのもその現われともいえます。
歴史上蘇我氏あたりから、帰化系の氏族が出没しますが、(秦や比企、高麗 などなど)そのずっと前から、帰化系などということも出来ないほどに陸続と移民してきていた可能性があるのです。
天武朝から作り始めた天孫降臨神話も、自分たちが朝鮮からきた渡来人であったことを隠すために創作した可能性があります。
蘇我氏を何となく帰化系に近いような表現が多いのは、これを倒した天智天皇やその後継者である天武朝の正統性の強調のために言い出したことかもしれません。
神武東征記も、大海人の皇子が壬申の乱で決起してから、勝利を得るまでにたどった道筋を日本列島に拡大して書いたものであると言う説もあります。



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