09/20/05

遣唐使の役割2(孤立と独立)

話を日本古代に戻しますと、任那には日本府という出先機関さえあったと言われています。
これは私の中学生ころには、教科書にあったのですが、その後、日本府というのは本当にあったのかどうか韓国側からイチャもんがついているようですから、今の教科書はどうなっているか知りません。
グーグルの世界地図の表示から韓国のクレームで馴れ親しんだ「日本海」という表示が消えているそうですから、今の時代、文句を大声で言えば勝ちみたいなところがあります。
サッカーワールドカップで、殆ど日本に決まっていたのに終盤で、韓国がイチャもんつけたために日本が荒立てるのもどうかと言うことで、仕方なしに共同開催で折れ合ったこともあります。
こんなことをしながら、技術移転や援助を求めるときだけ「仲良くしましょう」などといわれても、釈然としない人のほうが多くなって来ます。
9月19日・・・・・・1「遣唐使1」の続きに戻りますが、遣隋使、遣唐使によって始めて外界と繋がったのではなく、白村江の戦い以降は、遣唐使などの細いパイプだけしか繋がらなくなった、或いはつながり難くなったと言うべきでしょう。
聖徳太子が西暦607 年に送った遣隋使が煬帝に出したと言われる書面
「日いずるところの天子、日没するところの天子に書を致す・・・つつがなしや・・」
と言う文書が有名ですが、こんな失礼な文書を出すのは、今の北朝鮮くらいでしょうから、既にそのころは大陸とは険悪な関係になっていたからでしょうか。
こうしてみると唐以前の隋の時代から、わが国は大陸とはどうもうまく行っていなかった様子です。
今の朝鮮や中国と仲が悪いのは、歴史があるのです。
その原因は、倭の諸国は次第に力を蓄えてきて、(何と言っても物産が豊かなのです)大陸の支配者の支店や営業所的機能では我慢できなくなってきていたせいかもしれません。
この独立志向が大陸との冷戦状態に発展し、ついには白村江の戦になって終わるのです。
朝鮮は今の6カ国協議でもそうですが、隣の大国である中国寄りに行動しますから、アジアを中国と朝鮮半島だけと見れば、いつも日本は孤立してきたことになります。
しかし、朝鮮族は古代から中国の属国として存在していただけですから、日本は孤立していたのではなく、極東アジアは、日本と中国の2カ国でしかなかったと言えるのです。
どちらが孤立していると言う関係ではなく、中国から日本だけが独立していたとみるのが正しいでしょう。



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