09/19/05

古代の王と近代の王の違い1(国と國のちがい)

ところで、雄略天皇や、卑弥呼のころの「王」というのは、出先機関の支店長みたいな役割であったとも言われており、絶対君主時代の王を想像するのは間違いでしょう。
以前、02/17/05「時代考証と男女心理描写」のコラムで、テレビ映画等の時代考証では、女性と男性の役割、言葉使いなどが、明治以降作り上げられた「あるべき女性像」で演出されていることが多いと批判しました。
同じく、倭の王「武」が宋(南北朝時代の宋です)によって王に任じられたからと言っても、「王」の意味が時代によって、役割りも権限も全く違うのですから、気をつけなければなりません。
国という漢字は一種の簡体字ですが、戦前までは、國と言う漢字でした。
これは、干戈で守られた口=すなわち城壁のある区画・・都市を意味するものであって、まさにローマなどの都市国家と同じ意味で、我が国でいうところの広い領土の範囲を現す国では有りませんでした。
こういう時代には、倭・新羅、任那・加羅・秦韓・慕韓六国と言っても、今の国の出先機関のおおよその管轄区域、○○総本店の商圏の範囲程度の意味ですから、今のような国境と言う厳格な概念もなければ、その線引きを巡って争うようなこともなかったでしょう。
今大手スーパーなどでは店長が仕入れから何から何までをするのではなく、仕入れその他の重要任務者が別にいて、数店舗を見る体制になっています。
朝鮮半島の南の方の「王に任ずる」と言っても、その程度の意味だった可能性があります。
土地に意味があったのではなく、当時の関心は、「ある所からある所まで」をテリトリーとしている支店または営業所のいくつを自分の勢力圏に出来るかと言うことでした。
ローマ滅亡後千数百年後に再来した重商主義時代にも、そういう発想でしたから、スペイン、ポルトガル、オランダもイギリスも、最初は飛び地作戦で、中継基地としての港を押さえていったのです。
イギリスは、後に産業国家に変身しますので、飛び地の港湾都市の後背地の領土支配、植民地経営に乗り出し、先発の上記国々も競争で植民地獲得に走ります。
大航海時代の最初は、交易路の要衝である港を押さえていくやり型だったのです。
08/29/05「軍の存在意義9(連城の璧)」のコラムで説明したように、古代中国でいくつの城と交換するかの交渉が成り立ったのは、後世の人民支配を含む領地や城と言うよりも、支店や営業所の商圏・縄張りの交換交渉に過ぎなかったから、あんちょこだったのです。



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