09/18/05
信教の自由3(産業構造の重要さ)憲法130
わが国は、狭い国土ですが、世界規模の自然が入り乱れ、これが多様な文化を育んできたので、いつまでも多神教的共存社会が存続しえたのです。
地域宗教である神社宗教は、やおろず=多元的価値観が基本ですから、明治政府は、民族のアイデンテイ対策としてこれを採用したに過ぎなかったでしょう。
戦前の思想的締め付けがきつかったのと、国家神道とは本当は関係がなかったのです。
思想締め付けがきつくなったのは、後に書きますが、明治以降、後発資本主義国であったわが国が、許認可産業や政商のはびこる社会になっていたことが、そうさせただけです。
現在の方がこれまで書いて来たように、画一化が進んでいますので、多様な価値が認められにくくなっているのです。
これが窮屈な世相を生み出しているのでしょう。
ただし、一方で、商業だけでなく、製造業界が先進国の物まねでなく、独創的な開発をしないと国際競争でやっていけない時代になると、思想信条の自由度が必須になってきます。
憲法でどうこうしなくとも、自衛のために産業界は思想信条の自由を保障せざるを得ないでしょう。
製造業と商業は車の両輪のようにバランスよく発展している必要があるのです。
製造業が独創性のありそうな人材を拒否して秀才ばかり集めるようになれば、その企業の先行きは暗いでしょう。
ノーベル賞を受賞した田中さんが、ソニーに就職を断られていたというニュースを見て、そのころのソニーの企業イメージに合致していて、「さも有りなん」と言う感想でした。
ソニーがここ数年ジリ貧になっていますが、すでにその前からそういう人材を逃すような企業イメージだったのですから、根が深いですよ。
製鉄業も一時は東大卒ばかり、集めていましたが、その後構造不況業種っぽくなっていました。
企業は独創性が必要ですから、秀才ばかり集めても何にもならないでしょう。
憲法の信教の自由、思想信条の自由に戻りますと、産業構造がいびつのままで憲法だけ厳格に作っても、自由な社会になれない・・・無理なのです。
社会構造・・・・それを支える産業構造こそが、憲法の基本的人権を支える基礎なのです。
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