09/17/05

新興宗教の必要性(末法思想)3

政治家の世界では、トップ当選でなくとも2番3番でも当選出来た中選挙区から、小選挙区制の導入により、トップ以外は落選する非情な世界になっています。
今回の衆議院選挙では、社民党党首の演説スローガンは、「勝ち組社会を作るのか・・・」と言うもので、なかなか的を射たものだと思いましたが、実は、このスローガンは少し遅れていたのです。
今回の選挙は、これから競争社会を選んで造るかどうかではなく、既に到来した過去の事実の確認・信任だったのでしょう。
まさに小泉・自民党の選択は、容赦のない優勝劣敗社会が現実になっていることを確認するものだったと私は思います。
同じく優勝劣敗社会を作るための政策競争に挑むのが、民主党ですが、その分野でははとても叶わないでしょう。
ローマの興亡のコラムで書きましたが、ローマと戦うには、同じ戦法では勝てないのと同じです。
別の価値観で戦わねばならないのです。
競争が激しくなると、負け組みの逃げ場がなくなり、精神的に持たなくなってきます。
いわゆる負け組みは、中世に流行ったような念仏関係宗教に逃避するしかないのでしょうか?
南無阿弥陀仏や、南無妙法蓮華教などの御題目を唱えたり(または仏を念じる)踊りを踊っていれば良い(時宗・・一遍上人・・遊行上人)という教えは、現実逃避にもってこいの宗教でしょう。
しかも、浄土系の宗教は、あの世に極楽浄土があるというのですから、現世の負け組みにはぴったりの教えです。
これに対し鎌倉末に出て来た日蓮宗は、(時宗も鎌倉末ですが・・・)南無妙法蓮華経を唱えればいいとは言うものの、内容が厳しい教義ですから、ある程度克己心がないと参加できません。
この日蓮系から、今の創価学会が戦後大発展するのですから、不思議です。
戦後の混乱期とその後の高度成長期に、いろんな宗教が伸びましたが、その中で創価学会が突出しているのは何故でしょうか?
どのようにして民心を掴んだのか、社会学者の格好な研究対象でしょう。
しかし、創価学会も、いまや新興宗教としてのイキオイをなくして、新しい需要の吸収が出来ていないように見えます。
私が思うには、創価学会は(日蓮宗の)教義の強烈さから、社会の負け組の中でも、ある程度反発エネルギーのあるグループが支持者になっていったのではないかと思われるのです。
今元気印が減ってきて、負け組は反発力すらなくしている人が多くなっているのが、新規加入者減になっているのではないでしょうか?
負け組みと言っても、前回コラムで書いたように、小学校で負けてしまった者も中学で負けたものも、いろんな段階の負け組みがあります。
(比較で言えば決勝戦の敗者も敗者です)
新興宗教に逃避する人の方が、まだある程度の馬力が残っているグループでしょう。
それだけに、目立つので社会的な問題になりやすいのです。



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