09/15/05
神道(天武・持統朝が創作した神話)1
天皇家を神道の元祖と思う方が多いでしょうが、神話を作ったのは、これまで書いて来た白村江の戦で唐、新羅連合軍に負けた663(天智2)年以後の、天武天皇時代からの急ごしらえの話ですから、実は歴史が浅いのです。
蘇我氏、物部氏の戦い・・・・聖徳太子(ちょうど西暦600年ころです)の例でも分るように、大和王権の仏教信仰のほうが、それよりもずっと古いのです。
その後取ってつけたように生れた神話に基づく神道と言うものは、国難が去ってしまうと浸透しないままであったようで、聖武天皇の大仏建立に始って仏教系の後押しは目白押しです。
後白河法皇の例を引くまでもなく、天皇家は退位すると仏教徒として出家していて、「・・・院」となって仏教系で長年来たのです。
勿論病気しても、仏教系の加持祈祷でやってきたのです。
京都へ行けば、門跡寺院が一杯ありますよ!
明治になるまでは、家康の東照権現の例で分るように、死んでも神様になるのではなく、権現様になるのが最高位でした。
というわけで、明治以前に神道って本当にあったの?という疑問が湧いてきます。
あちこちに神社があるじゃやないか?と思う方がいるでしょうが、我が家近くの登戸神社の由来を、01/04/04「登渡(とわたり)神社(地名を大切に)」のコラムで紹介したことがありますが、それまではお寺だったのに明治政府の意向を受けて、神社に宗旨替えしただけの話でした。
このように、皆さんの近くの小さな神社を調べてみれば、似たような話ばかりだと思いますよ。
ま、神社程度は少しはあったでしょうが、(伊勢神宮など昔からあります。)「神道」と言う宗教にまで高まっていたのか、疑問があると言う意味です。
天武・持統朝では独自の神話を作ったものの、「神道」と言う宗教化まで意図していたのか疑問です。
そこまで考えていなかったので、その後の天皇家では何のためらいもなく仏教を尊崇していたのではないでしょうか。
明治の開国は、古代・・663(天智2)年3月)に白村江で負けたとき同様の国難に思えたでしょうから、わが国のアイデンテイチイを確保するために、天武朝同様に急遽神話を持ち出す必要に迫られたのでしょう。
このとき、単に埃をはたいただけでなく、神道と言う宗教の衣を着せて、国民の思想統制に利用しようとしたのではないでしょうか?
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