09/14/05

王権不要社会6と国分寺創設(象徴天皇の始まり)

9月13日・・・・・・2「王権不要社会4(農業社会の外敵とは?1)暦の存在価値」のコラムで書きましたが、純粋農業社会では、王様の役割が殆どなくなっていて、宴会(西洋風にはパーテイと言うのかな?)や狩猟するくらいしか仕事がなかったのです。
そういう状態では、ロシアの首都が陥落しても農民には何の関係もなかったでしょう。
国家とか国王などは、たまたま商業国家時代に必要な制度であったに過ぎず、その名残で、国家・国王が遺物として無駄に残っていただけだったとも言えます。
日本の天皇家が、奈良時代の終わりから平安時代の初期にかけて飾り物になっていった原因は、そこにあるのです。
そのころから天皇家=大王は、国内的には統一できてしまい、武力で戦う相手がいなくなりましたし、(王権を巡る戦いは壬申の乱が最後でしょう)他方で商業権益の取り仕切り機能も大陸との縁切りで無くしましたので、何もすることがなくなってしまったのです。
一方で農業が発達し、各地でかなり物が自給できるようになってきます。
これまで書いて来たように、農漁業に対する権力行為は不要です。
そこで、存在価値を示すために中央に大仏を作ったり、全国に国分寺を作って拝んで見たり、光明皇后が施薬院をつくったりして、仁慈を施すしか仕事がなくなっていたのでしょう。
或いは、文化発信地としての地位保全、その結果のデモンストレーションとしてのパレードをするくらいしかすることがなくなってきたのでしょう。
当時都では、源氏など貴人の行列を見物するのが楽しみでした。
源氏物語の世界は、当時の朝廷・公卿のするべき仕事が、余すところなく描かれていると言えるでしょう。
西洋の王様のように単に野蛮で、たくさんパクパク食べるところを見世物にする(ルイ太陽王など)よりも文化的だったように思いますし、その分だけ日本民族のレベルアップにつながったのでしょう。
(千年もこれで来れば大分差がつきますよ・・・・!)



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