09/13/05

農漁業と権力行為(封建領主の発生)

水田と言っても1反歩単位の大きな水田になったのは、最近のことですし、戦争前までは水田と言っても、曲がりくねった畦に縁取られた本当に小さなものが中心でした。
農地が今のように大きくなかったことについては、戦前の耕地整理と戦後土地改良で、農地の大規模化が進んだことを、04/14/04「戦後の農業政策1(自作農創設特別措置法と土地改良法1)」前後の連載のコラムで紹介しました。
それまでは、農業、特にわが国のような気候風土の微妙に違う社会では、共同作業をする単位が極めて小さかったのです。
農業が盛んになると、小さな村が(10数戸単位)日常的単位として十分であり、何十年に一回の大きな仕事のためであっても、今で言う所の郡単位くらいの規模があれば、用が足りたでしょう。
これが、農業主体社会では、小規模な封建領主が割拠するようになる現実的な基盤です。
12日のコラムで書いたように農作業や漁業活動は各人の個性的作業手順が必須ですから、国王どころか小規模な封建領主でさえ、権力者の号令一下、一斉に農作業や漁獲作業をするような社会でなくなっていたことが分るでしょう。 
漁業について書き忘れましたので、付け加えておきましょう。
たとえば、かつおの一本釣りを考えれば分りますが、釣り師の勘による作業であって、権力者の号令一下一斉に釣り竿を操作するものでは有りません。
その他延縄の仕掛け、魚篭(びく)を仕掛けておくなどの、いろいろな仕掛けも似たようなもので、各人の工夫で、どこそこの流れに合わせて仕掛けるのです。
(疎開先の田舎での体験です。)
鵜飼い漁業も同じです。
これが近代になって川に仕掛けるだけでなく、海でも仕掛けるなど大規模化してくると、乗り組員数人の協力作業に転化しますが、それとても殆どが家内工業的な人間関係で足りているのが現実でしょう。
底引き網などでは、部落全体の協力が必要になりますが、別に権力者まで入らないでしょう。
ニシン漁など大規模化して、初めて「網元」などの大地主類似の組織者が生れてきましたが、これとても明治以降の話です。
網元が生れたからと言って、権力者が必要になる訳ではないでしょう。
以上のように、農業や漁業が定着した社会では、権力行為が不要になるのです。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

稲垣法律事務所コラム内:農業に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:漁業に関するコラム


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資