09/11/05
商業社会(王権)から農本主義へ2(権力不要社会へ1)
これまで見て来たように、農業国家・社会が先に出来るのではなく、商業国家(都市国家と言いたがりますが、私に言わせれば、単なる都市です)が先に出来て、その周辺で農業社会が発達する順序なのです。
このことは地中海世界のギリシャ、ローマなど都市国家は後背地の狭い、山が海にせまった場所に出来たのに対し、その後の農業社会では、広い平野部の中心地に大都会が出来たこととの違いでもわかるでしょう。
或いはローマ滅亡後の世界は、商業交易に適さない筈の、だだっ広いヨーロッパ平原自体が、生活の場になったことからも分るでしょう。
パリのセーヌ川やロンドンのテームズ川は、国際交易のための河ではなく、生活の場或いは小さな地域交易の基地としての川でしかないのです。
ライン河沿岸都市は、ハンザ同盟都市として世界史上有名ですが、これは、農業時代には、地域交易の基地としてほんのちょっとばかり有利だっただけです。
(日本の倉敷や千葉の佐原程度だったでしょう)
後に重商主義時代が来て、初めてこれらの川沿いの都市が国際貿易で繁栄し、有名になっただけで、農業時代には鳴かず飛ばずだったのです。
農業が主体になって商業が(潤滑油程度の機能)その背景に退くと、大きな物流がなくなり、ひいては大きな権力を必要としなくなる傾向があるのです。
農業者にとっては、小さな地域共同体で共同作業をすれば足りますから、大きな権力で何かをしてもらう必要が有りません。
農民が各自の工夫で、いろいろなものをつくっていたのです。
昔は商業的な野菜販売が滅多になかったので、自給のための野菜が殆どですから家の近くの畑には、ネギもあればニラもある。
或いはナスもトマトもあるという具合に、狭い所に少しずつ植えていたのです。
今のようにネギばかり、或いは人参ばかり畑一面に植える時代では有りません。
仕事の手順も自分の工夫で、今日は草取り、あ、そうだ牛の世話をするか、など万般の仕事があって、今日は雨が降っているから、納屋で縄を編む、或いは鎌を研いでおくか?など個別工夫の世界です。
農民のことをついこの間まで、百姓と言っていたことから分るように、植木をいじったり垣根を作ったり、筵を作ったり縄を編んだり、万般の仕事をやっていたのです。
(これは、私自身が生れた東京の家が、アメリカ軍の空襲で焼けて疎開し、戦後地方生活をしたことがありますが、そのときに農家生活を見たり体験しているので、実体験に基づく話です。)
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