09/10/05
商業と農業の先後関係7(ローマ帝国の滅亡5)
ローマが世界帝国になれたのは、古代商業社会仲間同士の覇権争いで、最後に勝ち残っただけのことでしかなく、それだけに次の時代がくるまで長く残ったのです。
大体同じ土俵での争いの最期の勝者は、長期政権となる傾向があります。
古代社会の最後であった平安時代(藤原家が最後の勝者です)も長かったのですが、その代わり、藤原氏は従来の政敵との争いに負けたのではなく、まともな政敵としては予想もしていなかった武士に足もとを掘り崩されてしまったのですから、古代ローマが傭兵に乗っ取られて崩壊滅亡したの同じです。
武家時代の最後を飾った徳川政権も長かったのですが、その代わり最後は思いもかけない形で終わりました。
そうすると、今回の衆院選で、もしも自民党が大勝して小泉政権が長くなるということは・・・・?(「自民党型政治の最後」と言うことになるのかな?)
その代わり、その政権の最後には、それまでとは違った次の時代が来るのですから、従来型の組織ではこれには全く適応出来ず、戦う相手も形式も違うのですから、時代の波に飲み込まれてしまうのです。
地中海世界の栄枯盛衰は、商業都市国家のヘゲモニー争いでしたから、原則として海戦が勝敗を分けたのに対し、ローマの滅亡は陸上からの勢力に飲み込まれたことも、その象徴といえるでしょう。
いつも言うことですが、ある時代の完成期には、新たな時代の始まりが芽生えてくるものです。
シーザーが、ガリヤに遠征したのは(BC58〜51年)のですが、その刺激のせいかどうか知りませんが、ガリヤの地に彼らの農業が成長し始めたのです。
それから約500年を経て、476年ついに昔シーザーが侵略したガリヤの人々によって、ついに西ローマ帝国は滅びるのです。
ゲルマン族が強かったからローマを滅ぼしたのではなく、新たに農業社会が台頭し、他方で地中海世界の商業取引が激減してくると都市国家がもたなくなったからでしょう。
単に野蛮で強かったというだけならば、シーザーの時代にもゲルマン人は強かったでしょうから、周辺農業社会の発達によって経済的基盤がホリ崩されていたから、ローマが滅びたというのが私の仮説です。
これに対し、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)がさらに約1000年も続き、或いはササン朝ペルシャが700〜800年ころまで存在し、次いでアラブのスルタンは(トルコ族)、第1次世界大戦まで存続しています。
中東地域では、王権の強いオスマントルコなどが何故いつまでも勢力を保てたかというと、その勢力範囲は遊牧民を主体としていたために、農業社会化が完成しないまま、すなわち商業主体のままであったからでしょう。
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