09/09/05

商業と農業の先後関係6

今の世界(欧米と日本)は、この長い農耕社会を経験してその後に商業国家へ転換したDNAを持っていますから、交易と言えば資源的に足らざるものを補い合う、過不足の融通だけをついイメージしがちなのです。
しかし、昔はどちらかと言えば、資源類は重いのでその交易は従たるもので、むしろ技術格差を埋めるための交易の方が大きかったのです。
昔は大量輸送手段がなかったので、陶器用の土がないから、或いは鉄鉱石がないからといって、土や鉄鉱石の輸出入などは、まったく考えられませんでした。
むしろこういう物品では職人集団が移動しながら陶器を焼いたり、建築工事、土木工事をしていったものです。
どこそこの国分寺と同じ瓦や壷があるというのは、同じ職人集団が移動しながら焼いていたものであって、物流があったと言う意味では有りません。
春秋戦国時代・諸子百家の一つの墨子は、「墨守する」という熟語が残っているように、篭城戦の専門家集団でしたが、その前提としての土木工事集団(主に築城専門家)でもあったと言われます。
わが国でも、戦国時代、近江の穴太衆は石積みの専門家として、あちこち御城の石垣積みに出張仕事をしていたのです。
(今でも比叡山のふもとの坂本に行けば、見事な「穴太積み」という石垣があちこちに見られますよ。)
そして石器製造その他の技術格差を埋めるための交易には、大量輸送手段が要りませんから古代の交易には不自由がなかったのです。
(石器と言っても、博物館でご覧になれば分りますが、その殆どが、指の先程度の細かい小さなものです。)
これに対して、時代の進展で、ある程度のものが一定域内で自給できる時代が来ると、(各村毎に村の鍛冶屋が出来る時代)未知の世界から買い付けてくる商人の価値が減少し、農業や生産者主体の社会になって来ます。
こうしてある程度流通が整備された後に、農業規模が大きくなると、商業流通が背景に退いてしまうので農業国家(正確には社会です)といわれるようになるだけのことでしょう。
ローマの滅亡の原因は、いろいろな角度から論じることが可能ですが、私のこの説によれば、商業都市国家の雄であるローマは、農業の進化によって、足元から崩れていき、地位を失ってしまったという見方も出来るでしょう。



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