09/08/05

ローマ帝国の滅亡3(商業国家から農業社会へ)

ギリシャからローマへ、或いはローマとカルタゴの争いは、商業国家同士の覇権争いでしかなかったのですから、歴史で習うほどの大きな事件では有りません。
あるいは、アレキサンダーー大王の遠征やガリヤ遠征も同じで、単なる征服欲による意味のない遠征でしかなかったのですから、世界史的に大した意味がないでしょう。
しかし、ローマの滅亡は、「古代の商業国家から農業社会へ」という社会構造の転換に裏づけられたものだったのですから、本当はこっちの方が重要でしょう。
世界史では、ローマが滅亡した点だけを重視しますので、その時期さえきっちり記憶している方が少ないと思います。
ローマが、「ある日ある時期」にいきなり滅びたのではなく、構造的不況というかジリ貧の結果滅びたものですから、その原因すなわち商業国家に変わって勃興してきた新勢力の解説こそが必要でしょう。
ローマ時代までのように、敵対する大きな勢力が生れて、その新たな強国に滅ぼされたのではなく、奔流のように流れ込んできたゲルマン民族の民族の大移動とその先端である傭兵隊長に滅ぼされたのですから、その現象だけを見れば、歴史家は書きようがないと思うのでしょう。
しかし、そうした区別は、国家と言う概念に毒された固定観念が、そういう発想に導いているだけだと思います。
これまで05/13/04「国民の祝日に関する法律1・・・「国家とは?」 その他で何回も書いていますが、国家と言う概念そのものが、明治政府のでっち上げでしかないのです。
国家かステートかの区別の問題はさて置くとしても、近代国家概念に適合した、まとまった集団・・・今で言えば法人というか、一定のきっちりした組織だけが社会単位ではないのです。
緩やかな民族集団の連帯、軟体動物のような緩やかな社会・・農耕社会の時代があったのです。
ゲルマン民族が勃興した原因・状況の把握こそが、歴史家が研究すべき対象でしょう。
勿論、西洋では十分研究し尽くされているのでしょうが、わが国の学者も国家と言う呪縛から離れる必要があるでしょう。
国家とまではいかないまでも、発達したエネルギーをバックに、ゲルマン族はローマの傭兵の有力構成要素・供給源となり、その中からオドアケルのような人物も出てくるのです。
他方で、蓄積した技術は民族移動のエネルギーにもなったのでしょう。



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