09/07/05
古代には、洋の東西を問わず、日本の門前町や城下町のように、大寺や侍集団に寄生して町が出来たのではなく、商・・交易の必要が先にあって町が出来てきたのです。
商人はおのずから、自分の町という愛着や自信を持っていますので、古代都市国家では自治が発達したのでしょう。
日本でも堺の町衆の自治が有名ですが、寄生して発達したものではない、「自分たちの町だ」という意識強さが自治を生み出すのです。
村でも行政組織ではない古代から続く「むら社会」では、どこでも、自治的運営が普通です。
寄生している商人の場合、町の運営に口出すなど論外ですから、城下町や門前町では自治など発達しようがないのです。
御城の縄張りは、侍が決めるのであって、商人に相談する余地が有りませんし、商人も自分たちの意見を言いたいなどとは、テンから思わないでしょう。
京の有名寺院の拝観料に税金をかけるかどうかで揉めたことがありますが、(古都税)そもそも現在の京の町は寺院に対する門前町として経済のかなりの部分がなり立っているのですから、京都市そのものが、一種の寄生組織です。
寄生組織は遠慮するのが、原則と言うところですから、有名寺院側は気に入らなかったのでしょう。
西洋では都市の形が、城壁に連なる農地がなく、荒れ果てた所にいきなり城壁が現れたり海辺に屹立している意味も交易から始ったからなのです。
今で言えば人里はなれたところに忽然として現れた、アウトモールショッピングみたいなもので、人家の連なりを必要としません。
むしろ、近隣では徐々に文化の恩恵に浴していますので、そのうち自給自足できるようになるのですが、はるばる遠く離れた異文化圏からの需要の方が長続きした筈です。
このように考えれば、日本的城下町や門前町の概念からすれば、理解不能な城壁で囲まれた町が何故出来たか・貿易基地が発達した意味が理解できると思います。
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