09/03/05

中国の発展形態異常性2(ペルシャ影響2)

中国が以後歴代、下請け、注文生産・・・これに触発される文化発展に頼ったことが、外界からの影響が弱まると文物の発展が停滞する仕組みになっていたのです。
この仕組みでは、外界からの進んだ文物の輸入が途絶えるとたちまち行き詰まってしまいます。
注文生産・ライセンス生産方式でいくら規模を大きくしても、外資が何らかの都合で引き揚げてしまうと、自分の技術、蓄積がないのでその先が続かないのです。
むしろ本来の自力よりも、ずっと進んだものを仕様書に頼ってやっていた分だけ、自力の水準まで落ち込むのですから、停滞どころか退行現象として歴史に残る原因ではないでしょうか?
今でいえば、お店のマニュアルどおり、「いらっしゃいませ」と、丁寧語を話せる女性が、職場を離れると、無茶苦茶に粗雑な会話しか出来ないのと同じです。
これが、中国の歴史が自発的・段階的発展性の弱い大きな原因だったのではないかと言うのが、私の直感的仮説です。
(勿論専門家ではないので、あまり信じないで下さい)
唐三彩と言うラクダや豊満な美人の焼き物が有名ですが、中国に行って見るとエライ安物だと思う方が多いと思います。
これは墓に埋葬するわが国の埴輪のような需要品でしたが、その製品はラクダ、人物その他ペルシャ風のものが多いのです。
当時ペルシャの文物が大量に輸入される時代であったことの証左でしょうし、もしかしたら、中国に来たペルシャ系の人の需要だけでなく、ペルシャからの意匠で上質の土の出る中国で現地生産し(輸出し)ていたのではないかと推測されるのです。
(今のところ、そこまで言う学者はないでしょうから、私の突飛な仮説です)
唐では、ラクダやペルシャ風文物、美人が流行しただけでは、王侯の墓の副葬品として大量に焼かれ採用されるとは思えません。
墓の副葬品となるまでには、日常的大量生産があってこそ成り立つものでしょう。
それなのに墳墓以外の一般生活域から殆ど出土しないのはおかしいでしょう。
(副葬品としては、住宅跡から出ないのは当然ですが、私の言うのは、同じ焼成方法やうわぐすりの仕用法など技術的同質品のことです。)
それがペルシャからの注文だったからこそ大量に焼かれ、その余韻として王侯の墓にも最先端品として利用されるようになったのではないかというのが私の仮説です。
細かくはその技術が伝承されていえば言えないこともないのでしょうが、唐三彩はその後ぱったり途絶えているのも、(ペルシャとの交流が途絶えて注文がなくなったからではないか?)その理由の一つです。
何しろ、唐三彩は20世紀初頭に鉄道建設工事で始めて発掘されて世に出たに過ぎず、唐代の一時期しか作られていなかったのです。



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