09/02/05
メソポタミヤ文明は途中いろいろなな地域を経由したでしょうから、その経由地でもそれ相応の文化生活があったはずです。
インダス文明もその一つと考えられます。
インダス文明はご承知のとおり、紀元前2500年頃から前1500年頃までインダス川流域に栄えた青銅器時代の都市文明で、アーリア民族侵入以前のものともいわれています。
これでも、中国の黄河文明よりも500年から1000年早いのです。
下流にモヘンジョダロ、上流にハラッパーなどの遺跡があるのでインダス文明の別名としてモヘンジョダロというかたもいます。
不思議なことにモヘンジョダロなどの遺跡では、立派な都市遺構が残っているのに、各家々は小さく、家の大きさに格差が少ないのが有名です。
王様がいなかったのではないかとも言われていますし、子供のおもちゃみたいなものも出土していてなかなか面白い文明です。
いずれにせよ、メソポタミヤ地方とは隣り合わせの地域ですから、当然その影響を受けていたことを誰も疑わないでしょう。
メソポタミヤ文明はインドからさらに東方へ波及し、いろいろな地域を経由したでしょうが、独自文明まで至らなかった所がおおいのですが、その終着点とも言うべき黄河文明では、結果的に独自文字を開発したのが大きな得点です。
この文字を武器に抽象的思惟が出来るようになったことが、後世四大文明と言われるようになった原因ではないでしょうか?
(文字の発明は、人類が道具を発明したのに匹敵する快挙でしょう。)
この文明の利器を利用して、殷から周・春秋戦国時代を経て秦漢による統一国家が生れるまでは、独自性のある思想や文化を発展させることができたのです。
幸いなことに、この長い期間春秋戦国時代といわれる諸侯の割拠する多元的価値観の政治体制にあったことが、自由な思想の発達を促す土台になったのです。
その結果、先秦諸子百家と言われるほどのバラエテイのある思想家が生れ、活躍する時代が生れたのですが、この後これほどの思想家が輩出することがなくなったのは、その後の政治体制によるものと思われます。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:歴史に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
