09/01/05

中国の独自性とは?1(ペルシャ影響1)

話が変わりますが、解放経済後の中国の躍進が語られますが、元々中国人は(満州族その他がありますので一概に言えませんが)もの作りよりも商業活動が古代から大好きなのです。
華人中心のシンガポールや香港の発展をみれば、中継基地、商業基地としての都市国家の現代版と分るでしょう。
中国何千年の歴史と言いますが、その実態をみると、その殆どはペルシャの文物の輸入とその下請け生産によるもので、独自開発した製品はごく少ないと思われます。
これからシルクロードや海の交易研究が盛んになれば、中国は古代の中東地域からの先進文化の輸入に頼っていた実態が分ってくるでしょう。
近年では日本の好みに合わせて、緞通を織ったり、野菜を作ったりしているのと同じで、唐の文化と言ってもペルシャの需要に合わせて生産していただけのようです。
或いは、現代でも各種先進企業の進出で、先進国の需要に合わせて組み立てて輸出していますが、そのような国のあり方は古代から同じである可能性があるのです。
その程度の下請け生産をしているだけでも、古代の周辺国には中国は何段も進んだ文明国に見えたというだけで、本当はどうってことがなかったかも知れません。
ライセンス生産と言うものは、自力生産から発展した地場産業と比較すれば、地元周辺生産力や方法、センスに置いて格段の違いがあるものでしょう。
日本でも、中国の文化を輸入したみやこ周辺だけは
           「あおによし、ならのみやこは、咲く花のにおうが如く今盛りなり」
と歌われて、貧しい草葺の家しか知らなかった周辺の人の目を驚かせたものです。
同じ国内の場合は、みやこを中心にした記述しか残っていませんので、日本が一斉に中国文明に浴したかのような印象で語られますが、日本国内でも中国と日本の関係のような吃驚するような格差があった筈でしょう。
明治維新で洋行帰りが幅を利かしたように、先進国のライセンス生産していると、回りには輝かしいことだったでしょう。
現在のように情報の発展した時代でも、中国内陸部の人に取っては、上海などは目の覚めるような輝かしい発展に見える筈です。
ましてや、情報の殆どなかった古代においては、周りの日本などにとってはもう目もくらむような感じしかなかったでしょう。



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