09/24/04

佐幕とは?(左袒の由来)

ところでまた、言葉の遊びですが、勤皇とか佐幕と世上言われますが、勤皇は読んで字の通りですが、何故「佐幕」と言うのでしょうか?
佐幕の佐は、スケと読むので幕府を助けると言う意味にも取れます。
また、それが普通の国語解釈でしょう。
しかし、それだけでしょうか?

「左」は工作するときに左手を添え手する会意文字で、助ける意味ですが、その後右をあらわす文字との対で使われるようになった事から、左右の意味は、左の字に任せることになり、元来の助ける場合だけのときは人偏を付けて「佐」というようになったもので、もともと同意義語です。
ところでわが国では、「助ける」という言葉は、そのまま「助ける」が使われていて、熟語でも補「助」などと言い、「佐」を助ける意味で使う用語は官名以外にはありません。(私の狭い教養の範囲ですが・・・・。)
もしも、「佐幕」が単なる幕府に対する応援を意味するだけならば、普通は兵衛の佐(すけ)、大佐、中佐など、官名の後ろに付くのですから「佐幕」というのは前につく点でも異例です。
言葉を美しくするための早苗、小百合、佐倉、早乙女などは当然接頭辞ですから上につきますが、佐幕の佐は接頭辞ではありません。
また佐藤、佐橋、などの氏も、前に付きますが、これも助ける意味ではありません。
これに対して左大臣、左大将など「左」という字は前に付くのです。
それに、その当時幕府は強大と思われていましたから、小藩や、浪人が幕府を助けるというのはおこがましい言い方です。
佐幕の意味は、せいぜい自分は幕府「派」、幕府支持だという程度です。
それが何故幕府を助ける意味の大げさな「佐幕」と言うのでしょうか?
私の考え、あて推量では「左袒する」と言う故事からきた熟語と関係がありそうです。
漢の劉邦死亡後、奥さんの呂后が皇太后として政権を掌握していましたが、その子恵帝の死亡後、1族の呂産や呂禄が大将軍などになって牛耳った時期があり、漢王室は殆ど乗っ取られてしまった時期がありました。
似たことは、唐の則天武后もやっています。
呂大后が死亡後、軍事の大権を奪われていた重臣周勃が兵を集めて「呂氏に従うものは右袒せよ」(もろ肌でなく右肩だけ脱げ)自分に従うものは「左袒(たん)せよ」と命じたところ、居並んだ将兵は、皆左袒(左肩の衣類を脱ぐのです)した故事にちなんで、特定勢力に味方するとか、ある学説に同調する場合(しかも正義である主張も含むでしょう)に良く使われます。
ついでに言いますとこの袒(たん)と言う字が祖に似ているので、殆どの人が左祖(そ)と読んでいるばかりか、本にまで「祖」という漢字を使っていることがありますが、故事から言うと「袒(たん)」が正しいのです。
祖先の祖では意味が通りません。 
こうしたまちがいをなくし、恥をかかないためには、中年以降は須らく虫めがねで漢字のちょっとした違いまでじっくり見ておく必要があります。
そこで上記の、左袒の故事を踏まえて考えてみると、「佐幕」と言うのは、特定勢力支持、派閥参加を意味する「左袒」から始まったものの、どうせ「サ」ならば「左」より「佐」の方が見た目が格好いいという美意識が作用したように思うのです。
そうすれば、幕府を助ける「佐」という(心情的応援だけでなく微力ながら応援しますと言う)意味をわずかに含ませられるメリットもあるので「左」を引っ掛けて造語したのではないかと言うのが私の空想です。
辞書も引かずに思いつきで書いていますので、適当に信用して読んでください。
もし、もっと詳しくご存知の方は、お手数ですが、当事務所まで郵便でご意見・資料の送付をお願いします。(謝礼はありません。)



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