09/19/04

源平争乱の意義4(貴種と立憲君主政治3)

後白河天皇・法皇の狙いは、武士をつぶすというよりも朝廷を牛耳る藤原氏の勢力根絶に必死でしたから、(王政復古願望です)藤原氏と結びついている源氏よりも、なんら結びつきのない平氏の方が利用価値があったのは当然です。
それに藤原氏の手足となっていて藤原氏の基礎をなしている源氏の勢力削減も大きな目標だったでしょう。
考えようによると保元平治の乱は、旧勢力同士(藤原に対する天皇家・源氏に対する平家)の連合が勝ってしまった事件だったと言えます。
現在でも、利権にまみれていないから、クリーンだからと言って政権を任されても、現実の政治を出来なければどうにもなりません。
平氏は、武士団の需要吸収経験(利害調節)が出来ないのですから、武士団代表になってもうまく行きません。
清盛は、まだしも苦労して地位を築いてきた経験がありますが、その息子達になるとそうした努力も知らず、カンム平氏の「貴種のおごり」そのままの先祖がえりをしてしまったのが、平家滅亡のもとでした。
天下を取ったのでおごったのではなく、もともと床の間を背にした殿様商売をしていてジリ貧になっていたのが、いきなり日の目を見たに過ぎないので、もともと泥臭い田舎武士の需要吸収経験がなかったのです。
今でいえば、どぶ板選挙をした事がなく、いきなり政権を取った政治家が人目を引く、外交に活路を求めるように、清盛も日宋貿易などに活路を求めたのでしょう。
しかし、内政=利害調整をうまくやってほしい武士層にとっては、都を神戸福原に移したり、厳島神社を尊崇するなんぞは、いよいよ関係ない話ですから、武士団の支持を失っていったのです。
源氏は地方の武士の意向を中央へ伝え、武士の政治的欲求を満たす仕事で勢力を伸ばしていたのであって、地方武士は昔の血統はどうであれ、自分の頼んでいる中央の武士が役に立たないと見れば、乗換えをしていたドライな関係でした。
農協の陳情団と自民党の族議員の関係みたいで、自民党だけでなく民主党にも近づこうかというところは似ています。
千葉氏は、もともと平氏ですから当然ながら、当初は平家に頼っていたのですが、平将門の乱でも分るように、関東平野は、もともとカンム平氏の独擅場ですから、平家の中の誰に頼むかが重要であったのです。
千葉氏は、相馬御厨の下司職争いで相手方に源氏(たぶんその辺の源氏は、為義の息子志田義広でしょうか?)がついておされ気味になっていたので、途中から平氏は頼りないと見て、義広よりも中央で活躍している左馬頭義朝に鞍替えをしたのです。
相手がヤクザを頼んだときに、自分ももう一つ格上のヤクザに頼むようなものです。



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