09/16/04
源平争乱の意義2(貴種と立憲君主政治1)
政治と言うのは、大義名分だけでなく、実際は現実の利害で動きますので、矮小化して言えば、隣接豪族同士の、長年の領地争いを有利に決着するために、これまでの調停者では自分に不利だと思った方が新興勢力につくこともあります。
千葉氏はいち早く頼朝に参向して、頼朝挙兵成功のきっかけを作った第1人者だったからかどうか分りませんが、結果として長年相馬御厨の領有権(下司職)を争ってきた宿敵佐竹秀義、その後ろ盾?志田義広(頼朝の叔父にあたります)は、(志田の方からの挙兵だったらしいですが・・・)頼朝に討伐されてしまいます。
当然相馬御厨の権利は千葉氏に復活します。
武士団は、源氏の血統を守り立てるために結集したのではなく、個別事情もあって、あちらに付いたり、こちらに付いたりしながらも、結果的には大きな時代精神を体現していくものです。」
こうしたことは現在の選挙制度でも同じで、個別に事情を見れば、いろいろな世話(就職結婚など)になったことや、親の死亡による世襲その他いろいろありますが、結果的に時代精神を体現した結果になるのと同じです。
これまで見てきたように、保元平治の乱に始まる源平の争乱は、勃興してきた武士階級と旧勢力との闘争の序曲であり、これにあまり意味のわからないままに藤原氏や天皇家(旧勢力)が頭を突っ込み、事態の理解をややこしくしただけです。
その後承久の乱、正中の変、建武の中興、南北朝とやればやるほど、次第に武士の発言力が高まり、応仁の乱に至ると、最早朝廷や公卿の影響力が完全消滅してしまいました。
こうして戦国時代に突入すると、武士同士の純粋なヘゲモニー争いになり、これを完結したのが信長、秀吉です。
こうした視点でみると、頼朝の旗の下に集まったのは、各人が意識したかどうかは別として、それぞれ自分達武士階級の要求を通すために結集したに過ぎないのですから、その組織のトップが何時までも同じである必要はありません。
現在の政党や、労組指導者と同じです。
戦争に勝てば、チャーチルが無用になったごとく、(チャーチルは、戦争を勝ち抜いたのだから、当然選挙に勝つと思っていたようです・・・。)ともかく武士団にとって役に立てばよかっただけでしょう。
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