09/13/04

「源氏でなければ武家の棟梁になれない」の不文律はあったのか?1

武士と言うのは、軍人ですから02/22/04「与力 (寄り騎)4」 のコラムで説明しましたが、その場の上司、大将と、絶対服従の関係になるのが本質です。
今でも軍人は国家公務員とは言え、その場の隊長の指揮とおり、突撃するのが本分です。
この関係は、02/25/04「与力 (寄り騎)7(軍事組織の思考回路)」で、明智光秀の「敵は本能寺」の檄に対する部下(信長の家来筋が多く含まれていました)の行動で説明しました。
また、豊臣秀吉は信長死亡後、信長の息子である神戸信孝(柴田勝家連合)と、次いで織田信雄(徳川連合)と戦って、次第に天下人になって行くのですが、いったん秀吉に臣従した武士は、疑問なく秀吉に従うのです。
これらは、信長死亡後直ぐの合戦でしたが、相手が主筋かどうか問題ではなかったのです。
このことは、秀吉死亡後の家康と秀頼の関係でも同じです。
大阪の陣では、加藤清正、福島正則、その他豊臣子飼いの家来まで徳川に付くのです。
今でこそ、源氏は名門として、源氏でなければ、将軍になれなかったと教育されていますので、足利が、源氏の天下を回復するための遺訓が累代受け継がれてきたと言えば、そうだろうと簡単にだまされます。
源氏でなければ、武家の棟梁・将軍になれないという説の胡散臭さについては、03/14/04「軍事政権と朝廷(幕府・征夷大将軍5)」前後の連載で書きました。
ところで、八幡太郎義家の家系の源氏が将軍であった期間は、3代将軍の実朝の死亡の1219年まですから、頼朝の征夷大将軍就任時(1192)からわずか20年余りしかありません。
アメリカのブッシュ大統領の権力基盤を見れば分るように、頼朝生前中でも、頼朝が実権を持っていたかどうかという問題がありますが、これは後に書きましょう。
頼朝が権力を握っていたとしても、彼の死亡は1199年ですから、将軍在位わずか7年でした。
死亡後は、名実ともに実権が北條に移っていたのですから、源氏の実質天下は、ほんの少ししかなかったのです。



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