09/12/04
島津家と足利尊氏3(勝てば官軍4)
足利の出陣にあたっては、疑心暗鬼で虚虚実実の駆け引きでもあったかのような物語が多いですが、「勝てば官軍」ですから足利が天下を取ってから作られた史実は当てになりません。
事実としてあるのは、欠かさず姻戚関係を持ってきたことと、新田の家来みたいだった小さな足利家がその縁戚によって、(北条家の引きによって)北條1門が大きくなるのと比例して、足利も次第に領地が大きくなったことだけです。
北條家の危機に臨んで、最も信頼されている第2の実力者が応援するフリをして乗っ取りのチャンスとばかりに野望を実現しただけのことではないでしょうか?
会社のナンバー2が、危機に陥っている社長の応援をするフリをして、裏で自分の出世を企んででいるようなものです。
徳川末から明治になると、本来の忠義は勤皇であり、徳川は、政権を簒奪していたかのごとく言いふらしますが、足利も天下を取ってからいきなり北條は家来筋であって、源氏こそ主筋であると言います。
しかし、鎖国が徳川家光が勝手に決めたことも分らず、古来の祖法であるとして徳川家が勝手に決められないとして、開国に反対する天皇家や攘夷論者の知的レベルを考えれば分るように、(当時は学校で歴史を教えません)ほんのちょっと前のことも良く分らないものです。
ところで、攘夷論の中心は、水戸家の学者藤田東湖でしたから、学問のない人ではありません。
攘夷論は、理科系の学問ではなく、一応歴史に基づく学問として学者が主張し始めたものですが、それにしてはお粗末です。
阪神淡路震災のときも、地震のないところと思って備えがなかったと言いますが、(個人のレベルではなく、行政から地震学者まで含めてのレベルです。)ほんの100年余り前に大きな地震があったらしいことが報道されましたが、そんなことですらみんな忘れて、「この辺は地震がない」と思い込んでいたらしいのです。
幕末から数えてさらに500年以上も前の時代に(1300年代始めです)、百年以上も前の事を持ち出して、どうして北條が主筋でないと言う観念があったのか疑問です。
まして、歴史教育もない時代に何世代も前は源氏が主人だったなどと、考えていた人は殆どいなかったでしょう。
北條氏は自分からわざわざ簒奪しているとは言わないでしょうし、まわりも遠慮して口にも出せなかったでしょうから、何世代にわたって、北條に臣従を誓っていた武士団は、もとは源氏の天下だったなどとは誰も気づかなくなっていた可能性が高いのです。
あるいは知っていたとしても、それが何ナノ?というところだったでしょう。
徳川政権盛んなころも、京に朝廷があるのはみんな知っていましたが、そのころは誰も疑問に思わなかったのです。
北條家が、毎回京から公卿を迎えていたからと言って、そういうしきたりくらいに思っていたでしょう。
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