09/02/04

水戸の攘夷思想と薩長の攘夷(天狗党1)

西郷隆盛の西南の役は有名ですが、規模と政治的インパクトでは水戸天狗党の乱?事件の方が大きいと思うのですが、何故か教科書などに出て来ず、一般化されていません。
水戸天狗党は、藤田東湖の息子小四郎が中心になって筑波山で旗揚げしますが、(軍資金は桂小五郎から出たとも言われています)水戸領内の戦闘で、守旧派に負けてしまいます。
この点が、前年から始まった奇兵隊、力士隊が決起した長州藩の藩内革命の成功との違いです。
長州では、高杉晋作の奇兵隊が正規軍を破ってしまう点がすごいのですが、長州では革命実質と言うか足もとから着実に社会が変わりつつあったのに対し、水戸では、経済その他の社会実質が昔のままで、観念的な攘夷論だけが先行していた点が違ったのではないでしょうか?
また同じ攘夷と言っても、薩摩や長州の攘夷は、迫り来る外国勢力による国難に対する愛国心から発露していたものですから、薩英戦争、四カ国(下関)戦争あるいは上海留学などで開国に方針が変わります。
水戸家では、こうした外圧にさらされて攘夷論が生まれたのではなく、徳川家に歯向かいたいと言うだけの動機から、攘夷が格好の口実になっていただけではないでしょうか?
そこが薩長その他の西南雄藩と水戸の大きな違いです。
水戸の思想と言うのは、要するに海からのインパクトが原動力になったものでなく、古くからの水戸学の延長としてともかく反幕の名目さえ付けば良いと言う立場で、幕府が開国に追い詰められて困っているのをチャンスとばかりに、幕府攻撃に精を出していたに過ぎません。
その攘夷思想たるや、家光のころに鎖国制度を採用したに過ぎないのに、わが国古来の祖法であるとして、徳川家が勝手に開国するのは許せないと言うのですから、論理的には破綻していたのです。
水戸学の生い立ちについては、02/12/04「水戸(徳川)光圀は副将軍?1(水戸学の必然性)」前後のコラムで私の思いつき論を書きました。
また、海からのインパクトについては、川勝教授の海洋史観をもじったものです。



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