09/01/04
社会党の経験2(政権獲得の王道2)
話を社会党の歴史に戻しますと、片山内閣は、内部に左右対立を抱え、与党経験の少ない少数党ばかりの連立ですから、具体的な政治がうまく廻らなかったので、無茶苦茶になってしまったらしいのです。
近年の社会党の連立政権では、この失敗に懲りて、自民党出身で、県知事経験もある細川氏が総理になり、さらに自民党で中枢を歩んできた小沢一郎氏が参謀役として政権が発足したものです。
その後の自民との連立では、総理こそ社会党の村山さんでしたが、実務は自民党が担う連立でした。
長柄川の河口堰工事には、社会党が長年にわたって、党として反対していたのですが、細川内閣時に社会党出身の五十嵐建設大臣が、担当大臣になって、ゴーサインを出したのが有名です。
政治が妥協で動くしかない実例でしょう。
他方、保守本流の田中、福田内閣(かなり右よりのグループです・・・今の小泉さんの流れです)の方が、左よりだった三木さんよりも日中問題を進められたのは、政治の皮肉というものです。
現在の北朝鮮国交交渉も、右派の小泉総理だから、熱心に進めても靖国参拝などで時々ご機嫌取りをしているので、右翼筋から文句が出ないのです。
それに元福田派ですので、派内には右寄りが一杯いて根回しはしてくれるし、幹事長が時々強硬発言するなど手分けして、ガス抜きも十分出来ます。
世界史的事例としては、ド・ゴール将軍が大統領になって実行したアルジェリヤ独立承認でしょう。
彼は右翼の親玉だったからこそ、フランスがアルジェの泥沼から脱却する思い切ったことが出来たのです。
こうした政治の難しさを知らずに?ひどい目にあったのは水戸天狗党(1865年)ではないでしょうか?
筑波山で決起した藤田小四郎は、いくら学者の子供とはいえ、当然政治の綾(あや)くらいは知っていたでしょうが、後から大雑把にみればそう見えると言うだけです。
政治家である武田耕雲斎は、時期尚早と決起に反対して参加しなかったのですが、水戸城への入城を拒まれて、結局決起軍に合流することになってしまったのです。
彼らは、将軍後見職として事実上天下を取った慶喜を当てにして、あるいは応援の為に決起したように思えます。
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