09/25/03

教育改革・・・・明治維新と学制改革(大学規則と近代化) 3

維新直後から新政府は、欧米列強の圧力に負けず、独立を維持するためには、欧米に模して国内の制度と文化を近代化しなければならないとも考えていたことは、明治元年3月の「五ケ条ノ御誓文」の第5項に「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」とあって、先進諸国の近代文化の導入が求める姿勢を強調していることからも明らかでしょう。
政府は、上記のように復古主義者の機嫌を巧みにとりながらも、着々と近代諸制度の整備に向けて準備していきます。
明治3年2月、大学(前記のように教育行政担当の官庁のことです。)は「大学規則」及び「中小学規則」を編成して太政官に伺い出ました。
この規則は、教育行政官庁である大学が、初めて独自に示した体系的な学校制度構想で、欧米の学校制度をモデルとしていました。
「大学規則」では、中央に大学一校、府藩県にそれぞれ中学と小学とを設けると言う制度体系を示したもので現在にいたる骨格を示した画期的なものでした。
このように、大学は中央にひとつだけと言うのは、漢の武帝が、首都に官吏養成のための大学を設けたのに範をとったのかも知れませんが、私は、この基本姿勢が、後日私塾の息の根を止める淵源になったと思っています。
次いで大学の編成においては、従前の国・漢・洋(あるいは蘭学など)という国別の構成を採らず、教科・法科・理科・医科・文科の5科から成る欧米的な分科制を初めて採用した点も画期的でした。
小学は8歳から15歳までの課程で普通学と「大学専門五科ノ大意」を修め、中学は小学を終えた十六歳以上の生徒に大学五科の予備教育を授ける課程とされました。
この規則は、施行上の細則加えて後に法令として府藩県に示されて、新政府の教育政策が「復古」から「欧化」へと大きく転回したことを世に示したものでした。
さらに政府は、3年7月に国学派・漢学派が本拠としている大学本校を閉鎖し、(これが今の湯島の聖堂として生気のない状態で残っているものです。)大学の教育機能は、大学南校と大学東校、すなわち洋学機関のみによって担われる(国学等の伝統的学問は、洋学校の片隅で教えると言うのですから、居候生活です。)こととなり、新政府の教育政策方針の転換を、明確にしたものでした。
元洋学校である大学南校(すなわち旧開成校)は、明治2年から外国人教師を教授陣の主体に置き、本格的な外国語教育を展開しており、大学本校が閉鎖された3年7月には、全国諸藩にその石高に応じて入学生を派遣させる「貢進生」制度を実施しています。
これは、旧来の身分制に拘束されたため、人材選抜機能を果たし得なかったと言われて、文部省設置後の4年9月に廃止されましたが、全国規模での人材発掘をしようとしたその意気を壮とすべきでしょう。
大学南校は、また、優れた学生や教員を選抜して留学生として欧米諸国に派遣することとし、3年8月その第一陣が米国に、医学校(すなわち東校)では、プロイセン政府に教師の派遣を依頼し、4年7月に2人の教師が大学東校に着任しています。
そして、大学東校は留学生をすべてドイツに派遣することとし、3年10月その第一陣が出発しています。
政府の欧化教育方針の鮮明化に伴い、諸藩においても洋学校を開設し始め、また民間でも福沢論吉の「慶応義塾」などの洋学塾が相次いで設立され、新しい文明の息吹きを求める青年たちに大きな影響を与えました。
明治維新政府は、近代国家建設の基礎としての、国民一般の教育も重視していました。
政府は、2年2月に「府県施政順序」において「小学校ヲ設ル事」を指示し、大学校にその実施方策の検討を命じましたが、同年6月新設の民部官(省)にその業務は移管されています。
これは、エリート教育を所管する大学と言うよりも、「民部」(民生)の所管と考えたのでしょう。
同省の立案により翌3年12月各県に将来の「郷学校」建設経費の準備を命ずる太政官達が発せられています。
藩や府県の中には、時代の動向にこたえて新しい学校を設立する動きがあり、最も早く「小学校」の名称を用いたのは、元年12月設立の静岡藩(旧幕府)の沼津兵学校附属小学校でした。
庶民の子供を広く対象とした公共施設としての性格を持っていたのは、明治2年に京都府が京都市内に六四校設立した番組小学校が最初のようです。。
神奈川県、筑摩県、名古屋県など、いずれも地域住民の協力を得て学校を作り出そうとしたものとして知られています。
ちなみに、筑摩県の開智学校は、いまでも信州松本市にありますので、旅行のついでに見学しては、如何でしょうか?




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