09/23/03
教育改革・・・・明治維新と学制改革 1(江戸時代の教育/私塾の活躍)
森内閣成立以来、教育基本法の改正が問題となり、今年の春には、国会で参考人質疑が行われるなど、大きな社会(教育)問題になってきています。
明治の公用語の改変の説明(9月15日)をしたついでに、江戸時代の教育と明治初年からの、学制の変遷について、素描してみましょう。
まず、その前提として 江戸時代の教育のあらましから見て行きましょう。
幕府は、思想教育の基本を儒教として、最大権力者、最大財力を基にして、中央に林羅山を大学頭とする「昌平黌」( 後に湯島に移ってからは昌平坂学問所)・・今の湯島の聖堂です・・・・を設置し、最高の教育機関として、儒学を教授していました。
これにならって、各藩でも武士階級に対する儒教教育機関として、藩校を設置するようになり、幕末には、独自の藩校を持たない藩はなく、武士階級に関しては、識字率100%に達していたと言われています。
その他に国学、洋学、医学、武術、(幕末には海軍伝習所も出来ました。)などそれぞれに道場など、時代の進展に従って各種専門学校が設置されていきました。
お正月の隠居のコラムで書いた、伊能忠敬の測量術も、専門学校である天文暦方で磨きをかけたものでしたよ。
こうしてみると、江戸時代は、専門学校ばかりの時代であったと言えるでしょう。
こうした公立の学問や体育(武芸)、技芸ばかりでなく、私塾も、忘れてはならない江戸時代の教育制度でした。
とりわけ、幕末動乱期に活躍したのは、こうした私塾出身者に多いのも注目すべきでしょう。
そこまで行かなくとも、江戸時代の指導的知識人は、私塾で学を修めた人物が多いのです。
私塾とは何でしょうか?学芸に秀でた人物が、個人的に塾を開いて、これに私淑した英才がその門をたたいて、入門を許されて朝な夕なにその薫陶を受けるのが、一般的なパターンです。
中江藤樹と熊沢蕃山にその例を見ることが出来ますが、その他に緒方洪庵、吉田松陰、広瀬淡窓など有名な思想家の私塾をご存知でしょう。
剣道では、坂本竜馬が学んだ千葉道場などが有名ですね。
前記の伊能忠敬が、学んだことで有名な天文家他の高橋至時は、大阪の麻田剛立という人が設立した私塾の高弟でした。
寛政の改暦を企図していた幕府は、お抱えの(公務員)天文暦方では、役に立たないと見て、大阪の麻田一門に人材推薦を頼み、高弟の高橋至時が推薦されて、天文暦方に着任したときに、伊能忠敬が、江戸に出てきて、めぐりあったと言うわけです。
その他の芸事(囲碁、将棋、美術、相撲、茶道,華道、舞踊、歌舞伎、武術など)のうち、いくつかは、今でも、そうしたパターンが尊重されています。
これに加えて、教育の基本はそれぞれの家庭教育が中心になっていました。
ご存知の、武士道などの躾教育です。
江戸時代の初期は、武術でも、将軍家指南役とか、学問では、林家など権威を持っていましたが、250年ほどの間に、殆どの分野で、公教育が内容を失い、私塾にその実質を奪われていたのです。
庶民については、17世紀以降江戸、大阪を中心に寺子屋が広がり、18世紀には全国に広まったと言われています。
こうして、明治維新を成功させた、教育水準のかさ上げには、民間が大きな役割を果たしていたと言えるでしょう。
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