09/14/03
政治と権謀術数・征韓論とは?
このように、 外遊の成果がなくて帰ってきた上に、留守を預かる西郷政府がうまくやっていたので、立場が揺らいでいた外遊組にとって、さしあたっての困った問題は、井上馨、山縣有朋の汚職問題でした。
佐賀閥の司法卿江藤新平は、その追及にやる気満々で、長州閥ではその収拾に追われることになりました。
そこに重なったのが韓国問題です。
岩倉や権謀術数家らは、既に西郷らが平和的に収めていた韓国問題を蒸し返して、西郷の平和外交を征韓論などとねじまげようとしましたが、閣議で否定されてしまいました。
それで大久保らは、一旦辞表を出しましたが、そのくらいでは、何ともないのが岩倉の岩倉たるゆえんで、岩倉が閣議と違った(西郷が行けば殺される)上奏をしたために、天皇の裁可がおりなかったらしいです。
井上馨の汚職問題を追及しようとしていた、司法卿江藤の失脚を狙った画策に端を発した、この争いは、こうした、いろいろな汚いやり方の連続に、今度は西郷や江藤などが嫌気がさして、いっせいに下野してしまいました。
一種のクーデターですね。
まじめな木戸孝允は、ノイローゼになってしまいましたよ。
このときの真相は、大久保らの深読みをどう解釈するかと言うところですので、本当はよく分かりません。
ところで、西郷さん(西郷政府)のときのほうが、結構厳しい改革をしていたのですが、不平があまり出なかったのは、人柄によるものでしょう。
ところが大久保や岩倉が改革を始めると、人望のない分やり方も姑息で汚い?ので、激しい抵抗を受けるようになりました。
この結果、一挙に不平士族の反乱が起きるようになったのです。
勝てば、官軍と言うわけで、その後に実権を握った大久保らの意を迎えるためにマスコミも、歴史書もそれにあわせるのが常です。
今でも、岩倉使節団を視察団と表記し、さらには、「西郷が征韓論に敗れて下野した」と、いかにも西郷が征韓論者であったような書き方をする書物が多いのは、その後に実権を握った、大久保らの影響がいまだに抜けないからでしょう。
実権を握った大久保らは、すぐに、台湾問題、さらには韓国問題に軍事力を行使し始めたことからも彼らこそ、征韓論者であったのではないかともいえます。
その問題はさておき、このコラムで私が言いたいことは、政治と言うものは、権謀術数が必要悪であると思っている方が多いと思いますが、それは、彼ら政策能力に乏しい者が、権力にしがみつくために必要なだけであって、国民の福利のためには、そうした策略家は必要ではないと言うことです。
会社でも、仕事の出来ないのに限って、小うるさいのを、これまで皆さんも経験しているでしょう。
一昔前には、金丸信という寝業師が有名でしたし、京の岩倉と野中氏の出身地は、遠いのか近いのかが、分かりませんが、岩倉具視と似た印象のある野中広務氏が、数日前に引退を表明しました。
マスコミは、派閥崩壊の流れと形容しますが、寝業師とか策略家が表舞台で活躍する時代は、終わってほしいものです。
国民が求めているのは、策士ではなく政策です。
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