09/11/02
因果関係 5(相当因果関係4)
まず片足の不自由な人が、2度目の事故で両足が使えなくなってしまった場合を考えてみましょう。
両足使えない場合の後遺症慰藉料、逸失利益から片足だけ使えない時の後遺症慰藉料・逸失利益を控除する方法で公平化をはかれるでしょう。両足が使えなくなった時の損害は、片足が使えない損害の2倍では無くもっと多いからです。
むち打ちの場合も重傷化した事による損害額を(例えば1年かかったとして)算出して、一回目の本来治るべき時期を規準にした損害額を控除すれば良いと思います。
動脈瘤破裂の場合は、刑事事件としては、傷害の責任しか問われないでしょうが、民事賠償としてはどうでしょうか?
相当因果関係と言う考え方からすれば、前記の例と同じような計算になるべきでしょうが遺族としては、1〜2万円では納得出来ないのが問題です。
『素手で殴っただけかも知れないけれど、それがなければ、うちのお父さんは死ななかった』と言う遺族の感情を無下に否定する事が出来ませんね。
相当因果関係説に対して条件説と言う考え方がありますが、人の生死に関する事になってくると、近代合理主義で割り切れない考えが尚、妥当する場面が残っていると言う事でしょうか?
実際の交渉では、相当因果関係の考え方を基本にしながらも、かなり上のせした金額を提示して、折衷的な解決をしています。
片足の事故や、むち打ち事故の前記の場合も、純粋な相当因果関係の範囲にとどまらず、結果的に若干の上のせをして、公平を図っている事がわかります。
老人が、自転車で転んだ場合は結構難しいですね、むち打ち症や、片足の事件のように考えて、『今迄相当くたびれているから、その分を差し引いて計算すると被害は限り無く0に近くなってしまいます」と言えるでしょうか?
老人は事故前に特定の障害を負っていた訳でなく、老人ではあるが健常者だった訳です。
要するに老人であるが故に、少しの事で骨折するし、少しの骨折でも治るのに時間がかかる、その上若い人ならば、骨折で入院したくらいで、肺炎にならないし、なっても死なないのに、老人だから肺炎になって死んでしまったと言うにすぎません。
先ほどの動脈瘤の事件では、通常人は患っていない特別な事情ですから、加害者には予見可能性が無いと言う事になるのですが、老人は少しの事でも大事に至ると言う事は、誰でも予見可能な事です。
従って、老人の特殊性を主張するのは、公道を老人が自転車に乗っている事を予測出来ない、すなわち、老人は普通の人間では無いと言うに等しいと思います。
このように考えると先ほどの相当くたびれているからという考え方は、後何年生きているかという、逸失利益の計算には役立ちますが、慰藉料の計算規準としては、おかしいと言う事になります。
慰藉料の規準としては、死亡の慰藉料を請求出来ると言うべきでしょう。
ただし死亡慰藉料でも、一家の柱の場合、独身者・老人等その属性によって慰藉料の額が違っている事を付け加えておきます。
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