08/15/07
公益事業の存在意義3(教育・年金制度の民営化)
こうした社会発展段階の格差によるものは、社会の発展によって国内的需要が起きれば、民間が自力で採算を取りながらでやっていけるのですから、順次民間に譲っていき、政府・・公的資金の投入は補完的機能に限定・・縮小していくするべきです。
(製鉄所の払い下げなどが、そうでした。)
たとえば、教育などは、明治以降のキャッチアップ段階では、江戸時代の寺子屋形式ではどうにもならなかったでしょうから、新たな西洋式学制を敷いて、西洋式教育にまい進するには、政府がさしあたり費用を出してリードしていく必要があったでしょう。
しかし、一定期間経過して助走期間が終われば、民間に払い下げ、その運営にゆだねていくべきだったのです。
学問や思想に対する政府の影響力温存の見地から、(製鉄などの産業とは違って)助走期間が終わったのに、何時までも政府が(公益事業?として)牛耳っているから、ここ数十年、大幅な国際競争力低下に見舞われれているのです。
政府のやるべき教育事業を残して行くとしても、不採算の最底辺層に対する社会福祉的観点からの教育に特化すべきであって、国際競争に参加しなければならないトップクラスの教育は、民間に任すべきです。
郵便や通信も同様で、社会が軌道に乗れば、民間に譲っていくべきであって、政府がしがみつく必要がありません。
年金や保険も同様で、経済大国化して久しく、世界有数の資本蓄積国であるわが国では、保険も年金も民間で十分運営していけるのです。
財政投融資資金の不明朗さを、08/09/07「財投資金の消長2と政権党の消長1」前後で書いてきましたが、郵貯資金をはじめとする財投制度は、もともと日本での民間資本蓄積の不足を補う・・資本市場未発達のために始まったものでした。
民間部門の資本蓄積が十分になっている現在の日本で、どうして国がこんな事業に何時までもしがみつくのか分かりません。
これからは、年金や保険は保険業界にまかせて、後は消費者が損をしないようなルール作りや監視体制整備に精を出すのが国の仕事でしょう。
郵貯・保険や年金を手放せないのは、財投資金は、官僚の権限強化の裏づけであり、その対の関係として、これに群がる利権集団が存在しているからでしょうか?
あるいは、公益事業は、役人の天下りの受け皿になっている面もあるでしょう。
公益事業とはさしあたり、その社会ではまだ需要が熟していないために民間ではやり手がいない事業であるとした場合、これからは、明治の初めのような大掛かりなキャッチアップ時代ではないのですから、各種補助金で対応して、(太陽熱発電や電気自動車など)民間の技術革新競争にゆだねるべきであって、政府が管理したり、公共団体が公益事業=直接運営するべきではありません。
あるいは、介護事業のように規制さえ緩めて使い勝手をよくすれば、利用者も多く、他方ですぐにも飛びつく業者が一杯いるのですから、政府が新たな産業の生成を妨害しないようにしていく努力の方が必要です。
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