08/01/07
裁量権乱用の歯止め3(水俣事件2)暴力団とは?1
水俣事件の最高裁判例では、公訴権乱用法理による偏頗検挙に対する抑制効果を完全否定したのと結局同じでしょう。
その他大勢との比較で自分だけ狙い撃ちに検挙されたどころか、対立当事者が堂々と暴力団を雇って(ただし、一般報道によるだけの噂です。)攻撃しても、黙認しておきながら、その被害者がちょっと過激な行為に出るとすぐ検挙しても、その程度では公訴棄却にするほどのアンバランスではないというのが、最高裁の判断です。
昔から、喧嘩両成敗の法理があったのですが、公訴棄却の法理はこれの近代的表現だと言うべきでしょう。
権力の強化につれて、非理法権天の法理から喧嘩両成敗へ、移行した経過については、
01/21/04「中世から近世へ(国家権力の強化)1」以降、綱吉の生類憐れみの令までのコラムで紹介しました
忠臣蔵では、この喧嘩両成敗法理が破られたことが、あだ討ち事件惹起の法的・・心情的背景でした。
上記のように、有史以来権力強化の流れが続いていたのですが、その終局として、さらには偏頗成敗(今の言葉で言えば偏頗処罰です)していることが明るみに出ても文句言えない(こっそりとではなく)法的に、許される時代になったままと言えるでしょうか?
それでも不公正な裁き・・政治の運用は、国民による政権不信の大本となることは、今も昔も変わらないでしょう。
権力のあまりの強化に対応して、この抑制の装置・・3権分立や基本的人権保護の要請が生まれてきて、近代国家の基本ルールになったのです。
この基本的ルールへの脱法行為が、誰でも何か違反しているであろうと言う膨大な処罰法を制定して、普段はゆるく運用していて狙いを付けた人には、その何らかの違反を探し出してこれを適用できるようにしておくことでした。
これを防ぐには、公訴権の乱用を許さない法理しかないように思いますので、最高裁が上記のようにありえないような厳しい要件のときしか適用を認めないならば、裁判所の解釈に委ねておけません。
現在の与野党交代のない釈迦知恵は、政治的事件に対する裁判所による権力に対する抑制機能は有効に働かなくなっているのです。
そうとすれば、裁判所の解釈に期待できませんから、法が明白に裁判所を強制出来るような立法が必要だと思うのです。
ただし、会社側が、暴力団や右翼を雇っていたと冒頭で書きましたが、これは、私の記憶違いかもしれませんので、そのつもりでお読みください。
上記事件で会社側の暴力による傷害とあるのは、会社のサラリーマンが暴力を振るう訳がない・・・というか、デモ隊用に専門に雇ったガードマン?たちによる暴力・・暴力団という構図でした。
このあとで紹介するユウジン スミス氏の場合、右目失明と言う重傷を負ったのですが、ホワイトカラーがそんな無茶苦茶な暴力を振るえる筈がないのです。
そのころ、そのように報道されていた筈ですが、今では私のおぼろげな記憶だけですからチッソから、暴力団など雇っていないといわれるとこちらも根拠がないのです。
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