08/28/06

刑事訴訟法54(司法警察員と与力・同心)(前身と役割)

検察事務官を江戸時代の役人に当てはめれば、与力の家来か与力の下役の同心というところでしょうか。
司法巡査と言うのは、司法警察員より下位の警察官のことですから、江戸時代の目明しや岡引きに該当するものと私は思っています。
実際は巡邏などとして未経験者も大幅に採用されたことは、既に11/22/04 「彰義隊と羅卒・・・巡査・探索」のコラムで紹介したとおりです。
ただし、警察署長・・後に紹介する警視以上は、一定の人材でなければならなかったでしょうから、同心または与力から横滑りしたものでしょう。
02/19/04「江戸時代の裁判1(出入筋と吟味筋)与力 同心」や11/21/04「岡引きはどうなったか?2(番人から羅卒・巡査へ)」等の連続コラムで紹介したように、目明しや岡引きは公務員ではなかったのですが、今では、これにあたる巡査は地方公務員になっています。
公務員に昇格したとは言え、歴史上信用がないので、裁判官の発した逮捕状で逮捕した場合でも、直ちにそれぞれの上位者に引き渡さねばならないことになっています。
与力は、8月27日のコラムで書いたように、奉行の名で事実上裁判もしていたでしょうから、今の裁判官や検察官の役割をしていたのですが、検察官や裁判官の前身かと言うとそうでもないのです。
明治になって、与力の上に裁判官や検察官と言う職種が出来て来たので、上記連続コラムで書いたように、法的には、与力もそれぞれ能力に応じて分化していったものであって、検察官になったものや、裁判官になったものの他に、司法警察員や警察署長に流れた与力もいたかもしれません。
このような上乗せは外にもあって、たとえば、役割からみれば藩校が、今の地方国立大学に当たるのでしょうが、前身かと言うとそうではないのです。
昔の藩校は、地元名門高校になっていったに過ぎず、その後各県に地方国立大が出来ましたが藩校が昇格したのではなく、藩校はそのまま高校として残り、大学は別につくられたので、その国立大の前身とは言わないのと同じです。
大学の設立過程については、10/06/03「教育改革11・・・・・明治政府と学制改革(中央集権国家の教育制度) 」前後で連載しました。
勿論、最近では高校(元)藩校)が、その上に短大や大学を設立する例があります。
話を刑事手続きに戻しますと、江戸時代みたいに、逮捕後そのまま自身番屋で調べ続けるのは許されません。
代用監獄については、11/29/04「司法警察員と司法巡査の違い(民営化の場合)刑事訴訟法13」及びのコラムで書きましたが、最近では08/18/06「警察署の機能の変遷3(刑事訴訟法49)勾留と代用監獄(ブタ箱)」などで紹介しています。
ブタ箱と言うのは、自身番屋の歴史を負っている警察の留置場のことですが、ここで調べ続けるところに問題があるのです
ところで、司法警察員・司法巡査などと言う言葉は聞いたことがない方が多いでしょうから、次回から皆さんの見なれない警察法等を紹介しながら、警察官の種類を見ていきましょう。



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