08/27/06
刑事訴訟法51(「1通糺」・・・弁解録取書と奉行の仕事)
ところで、奉行の仕事については、法制史の本に書いているのを、そのまま紹介しているだけです。
後に紹介しますが、幕末4年間の統計では、死刑だけでも1年間に100人以上もあり、追放刑も同じく100人あまり、入れ墨・タタキ刑に至っては、年間900人平均に上っていたのです。
これだけ膨大な数の取調べや判決を奉行独りでやれるわけがありませんから、(奉行は、これまで何回も書いているように行政もしていたのですから大変です)私に言わせれば、実際は奉行の代わりに与力が実務をしていたに違いありません。
(勿論これは私の独断です。)
奉行と言うのは、今の裁判所の所長のような役割で、これも後に紹介しますが、大事件だけを担当し、一般事件は与力がいくつもの係りに分担して(現在の東京地方裁判所刑事3部とか7部とかに分けているのと同じです)裁判をしていたのではないかと思います。
裁判所という言葉の意味を、10/05/02「裁判の仕組み 4(裁判所)」その他のコラムで書いたことがありますが、奉行と言うのは一種の機関を意味したものかもしれません。(天皇機関説同様です)
法制史の本で「奉行が・・・していた」と書いているのは、「・・・・が奉行の権限であった」という程度の意味であって、奉行という個人・・たとえば遠山金四郎や大岡越前が、自ら一々処理していたことまで意味していないのでしょう。
機関である奉行の名において、配下の与力が処理していたのではないかというのが私の推論です。
前回冒頭手続で行われると紹介した「1通糺」の手続きは、今でいえば、検察官の弁解録取の先祖みたいなものでしょう。
犯人が逮捕されてくる度に、こんな事を奉行自らがやっていたのでは、体がいくつあっても足りません。
ところで、現行刑訴法で、司法警察員等による逮捕後48時間以内に検察官に送致されると、検察官が、人定質問して弁解を聞いて、弁解録取書を作成し、嫌疑があり、勾留の必要があれば、裁判所に対し勾留請求をするのと似ています。
なぜか現在の弁解録取書も1通だけで、何枚も作らない仕組みですが、この「1通糺」の歴史があるからでしょう。
この弁解を聞く現在の手続きを「弁録」と省略して言います。
この詳細については、08/23/03「令状主義3(刑事訴訟法3)」のコラムで条文を紹介して説明していますので参照してください。
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