08/26/06

裁判員制度13(事実認定と量刑手続の分離の必要性5)

一般国民にとって、意味不明の量刑判断に時間をかけるために、国民が動員されるのって何のための制度創設か?と言うところです。
役所の考えることって、公聴会や審議会など、形式さえ整えれば、それが民主主義であると言う思い込みが多いように思います。
明治開国以降、不平等条約改正の必要性が先行して、民主化の外形を整えるのにいそがしかった咎めでしょう。
鹿鳴館時代もそうですが、洋服を調え、ダンスすさえすれば、(フランス料理を食べても同じです)脳みそが近代的精神になる訳ではないのです。
民主主義の形式を満足させたい役人の自己満足のために、仕事を休んで引っ張られる国民の方は大迷惑でしょう。
有罪無罪を決めるのは、精神的に負担だからイヤだというヒマな人は別としても、サラリーマンのように「会社が公休にしてくれればいい」と言う気楽な職業の人ばかりでは有りません。
小規模事業者にとっては、何日も拘束されると受注機会を逸したり、納期に間に合わなくなったり、うっかりすると倒産の憂き目に遭うかもしれないほどの負担です。
時間をやりくりして漸く行ってみれば、量刑相場の議論が中心で、裁判官による過去の事例などを黙って聞いているしかないとすれば、国民に多大な負担をかける意味があるのか疑問だと思います。
相場表を作って配られれば公平な判断が出来ると思う方が多いかも知れませんが、3人殺していくら4人殺していくらと言う単純な表だけでなく、その事件毎の経緯や行為態様の違い、被害者の立場の違いその他があって、簡単な表には役に立たないのです。
何か発言すると「その事件とはこういう違いがあって、・・・・」とその都度裁判官に説明されると、みんな黙ってしまうしかないでしょう。
あるいは、微細な違いまで表にすれば良いかも知れませんが、その表の作り方次第で、その事件の刑が決まってしまうところがあって、結局は表を作ってくる裁判官の意見に従うことになってしまうでしょう。
プロ同士ならば、その表に載っていない違った事例を持ち出して、反論もできますが、裁判官グループ以外の裁判員は、素人ばかりで独自の事例を持っていませんから、反論のしようもないのです。
こんな無駄なことのために「何で引っ張られれなければならないんだ」という怨嗟の声が、そのうち出てくるでしょう。
そうすると、関連事件の事前事例勉強会などが設定されて、あるいは関連類似事件の資料が事前配布されて、予習してから裁判に出なければならなくなるなど、いよいよ大変なことになってしまいます。
ヒマな人はいいですが、忙しい人は事前の勉強会に何回も参加出来ませんから、自分だけツンボ桟敷みたいになってしまうでしょう。
そのうち、予習してくるのも国民の義務だということになって、予習しないで裁判所に来る方が悪いんだということになりかねません。
いずれにせよ、勉強会に出れば出るほど裁判官の指導的立場が強化される関係です。
社会化の授業で、あるテーマにを設けて生徒の自主討論会をしているのを先生が聞いているようなもので、先生が最後まで意見を言わないなら良いです
しかし、裁判員法廷では、裁判官も同じ1票の発言をするのですから、生徒の模擬討論会で指導の先生が締め括りの発言をするようなものですから、その影響力たるや絶大です。
一般国民は何のために引っ張り出されるのか分からなくなります。
08/23/06「裁判員制度6(制度選択権の有無と憲法違反?4)」のコラムで紹介しましたが、裁判員制度は、「国民に勉強させてやる」と言う滑稽な意味しかなくなるでしょう。



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