08/26/06

裁判員制度12(事実認定と量刑判断分離の必要性4)否認事件の実際

憲法論は別として、裁判員法の話にもどりましょう。
裁判員法では否認事件について、強制的に全件審理です。
実は否認事件と言っても 、刑事実務では
    「自分は、事件に無関係である」
と言う映画に出てくるような否認は、否認事件の中でも100に一つ有るかないかです。
(映画や物語には、そのくらいのインパクトが、必要しょう・・・・。)
自分の行為によって、被害者が死亡したのは認めるが、殺意がなかったとか、共犯関係内での自分の役割など部分的な否認が殆どなのです。
ひき逃げ事件なども人を轢いたとは気づかなかったとか、部分否認が殆どです。
そうした否認事件では、その関心の実質は有罪を前提として、量刑効果を争っているようなものと言えるでしょう。
立ち会う裁判員は、生まれて初めての経験ですから、当然量刑の相場を知らないのです。
その共犯関係の内部役割分担の違いが、どの程度の重要性・後の量刑にどのように響くかの意味不明のまま、審理に関与して行くことになるのです。
ま、考えようによれば、意味不明で関与する方が、邪心なく公平な事実認定を出来るメリットがあるかも知れません。
江戸時代の吟味筋が量刑と事実認定に分かれていたことの紹介から、裁判員法の問題に深入りしているのですが、ここでやっと当初の疑問に戻ります。
問題は量刑の評議です。
マスコミなどでは、「人の有罪無罪などそんな重たいことを決めることはとても出来ない」と言って、裁判員になるのを尻込みする意見が多いのですが、審理が終わって、判決のための評議になっても、本来の有罪無罪の議論は殆ど重要性が有りません。
(全く無関係と言う意味の無罪主張でなく、部分無罪を主張する事件が多いからです)
私が現在担当している覚せい剤事件では、いくつも起訴された事件のうち一つが無罪であると言う主張です。
こういう訳で、一部有罪かどうかを決めるのが理論上は先決ですが、実際の重要性は、量刑の議論でしかないのは、お分かりいただけるでしょう。
例えば、10件の強盗事件で、最後の1件に参加したかどうかの争いの事件では、被告人の実質的関心は量刑の争い(・・・懲役何年の刑になるかどうかの関心)でしかないのです。
ところが、彼ら裁判員(一般国民)は量刑相場については、何も知らないのです。
結果的に量刑の議論は、プロの裁判官の意見が、中心にならざるを得ないと思われます。
私は憲法論よりも、このような量刑中心の大多数の事件に裁判員の参加を強制すること自体が、問題だと思うのです。
一般国民にとって時間の無駄・・・飾り物に利用されているだけの印象を与えるのではないかとの危惧を抱くのです。



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