08/25/06

(憲法191)裁判をする権利と受ける権利(教育を受ける権利と義務教育)

政府が裁判する権利があるのは、国家運営者・・・・主権国家として当然の権能ですから、憲法で定めるまでもないのです。
主権については、05/23/05「近代戦と戦争遂行能力2(主権国家2)」その他で書いてきましたが、主権概念そのものについては、まだ書いたことがないように思いますので、別の機会に正面から書きましょう。
憲法に定める「裁判を受ける権利」は、国民の人権保障のために生まれて来た原理であって、政府の裁判する権利を保障するための規定ではないのです。
明治政府は、公開の法廷であれ何であれ、不平等条約改正と言う国是のために、先ずは、外形上だけでも欧米の基準に合うように努力したのです。
鹿鳴館時代を想起してもいいでしょうが、外形を整えるのに忙しかったのです。
その1環として裁判制度も整えたものでしたが、その意図はあくまで、政府のための裁判制度(国民のための公開ではなく)であると言う基本姿勢で貫徹しているのです。
国民は教育を受ける権利があるのですが、世上「義務教育」と言う形で、国の教育する権利であるかのように、逆さに宣伝教育されているのも、その1例です。

憲法
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

政府に裁判権があることは、明文がなくとも、もともと当然ですが、憲法や法律で裁判の仕組みを限定して来た趣旨は、国民の基本的人権を守るために発展したものなのです。
ですから、これに反した制度・・・あるいは、国民にリスクが生じる可能性のある制度を作る場合には、国民(だけでなくその保護者である弁護士)に選択権を与えてこそ、憲法違反のそしり・・・実質的人権侵害のそしりを免れることが出来るでしょう。
07/23/06「略式手続と即決裁判手続の違い1(刑事訴訟法47)」以下で即決裁判手続を紹介してきましたが、弁護側の意見がなければその手続で裁判できないのも同じ考えから出ているものです。
もともと異民族支配下において、不当な裁判を阻止するために同輩(同一被支配民族)による裁判権保障制度として陪審制が発達した歴史からすれば、被告人またはその弁護人が望まないのに陪審制・・素人裁判制を強制する必要まではないのです。
民族差別ではない・・・不当弾圧でない場合・・本当の犯罪の場合、同輩による裁判の方が、非難・・刑罰が厳しい面があるのです。



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